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 帰りの電車の中で、啓太は頭に浮かんでくるフシギな疑問をアンナに投げ掛けた。
 しかし、電車の外を流れていく黒い景色のように、みんな闇の中に終わった。
「俺の身に何かのイベントが起きるっていうことか?」
「起きるだろうな。今までだって、日常的なイベントが起きてきたように」
「今度のは、日常的じゃないイベントなのか?」
「その情報は、あげられん」
「あんたはどうして、標章≠セのキー人間≠セのと色々知っているんだ?」
「その情報も、あげられん」
「……ところで、最近俺に妙なメールをよこしているのはあんたか?」
「右に同じ」
「ひとことだけ書いてあって、ゴミ箱に捨てたら消え失せていたハガキは?」
「以下同文」
「あしき女≠チていうのは?」
「――」
 万事そんな具合で、啓太の家の最寄り駅ホームに降りた。
「いろいろ気掛かりかもしれんけど、あんまり悩まん方がいい。それはどういう意味かというと、たとえばアタシがついていても、どーにもならんもんはならんからな。だから、どーせなら初めから開き直ってワハハと笑ってみたらどうよ。オマイが今まで送ってきた平凡な日常生活ていうのは、退屈でクソつまらんものだけどよ、そのクソつまらん日常空間は、フシギと怪奇の嵐に包囲されているちっぽけな避難所みたいなもんなんだ。その理(ことわり)を分かっていたらだな、泣く羽目になったって笑えるだろ。当然なんだと」
 アンナは平然と言った。
 そして平然と続けた。
「オマイは安心していい。アタシがついているからな」
 啓太は安心できなかった。しかし安心してもいいような感じもして、変な気分だった。
 改札を終えた所で、アンナは立ち止まった。
「ところでオマイ、明日の放課後は予定あるのか?」
「ああ、明日は……」
 と言い掛けて、サユリと約束していることを思い出す。
 口外しないで、と。
「無いよ」
「そうか」
 微妙に目を合わせない啓太に、アンナは微笑を投げ、
「じゃあ、一言。……銃には気を付けること。また会おうな」
 駅を出て左に歩いて行った。
(あんたがこの駅から通学してるの、見たことないぞ……)
 しばし啓太はそんなことを考えたのち、駅を出て右に歩きだした。
 
 
「どこに行ってたの」
 帰ったら、めずらしくユミ子が部屋まで上がり込んでいた。
 横顔は青白かった。
「お前こそ、勝手に誰の椅子に座ってんだよ」
 冷たいフローリングを踏み、ベッドに腰掛けた。
 瞬間、啓太の体温を更に下げるような質問が降って来た。
「アンナさんのこと、好きなの?」
「い、いきなり何言うんだよ」
 すかさず返しつつも、素早くユミ子の横顔から気持ちを読もうとしている自分に呆れた。ユミ子の目はフロントの髪で隠され、唇は彫刻みたいに動かない。
「今日、一限目が始まる前、三分ぐらいアンナさんと話していたわよね」
 なんだ。学校でのことか。B町に行ったのを見られたのかと思った。
「三分間もアンナさんとコミュニケーションがとれる人は、うちのクラスには居なかったわ」
「おいおい。そんなので好きとか言われても困るなあ。お前ら女子は、どうして恋愛話が好きなんだ? 男が下ネタが好きなのと同じメカニズムか?」
「ごまかさないでよ。啓太が好きなのかどうかを訊いてんのよ。他の話なんかいいから。アンナさんは面白い人だって、自分で言ってたくせに。どうなのよ」
 硬直した姿勢を保ちつつ、正面の白壁に問いかけているユミ子。
 冗談が通じない雰囲気だ。
「好きとか嫌いとかいう問題は、お前に言われて初めて考えたな。今は、良く分からんとしか言えないが。無下に嫌いと断言する根拠も無いだろ」
 嘘は言っていない。
 アンナとB町に行って感じたものは、アンナへのフシギだった。それも、電波とかメンヘルとか既成のフシギ人間像では不十分なレベルのフシギであり、残念ながら現在はそのフシギさに圧倒されて帰って来たところだ。そのインパクトの中に、好きという感情が含まれているかどうかは、少なくとも一晩は置かないと分かるまい。
「好きか嫌いか分からない、ね。付け入られる隙がタップリあるってことだわ。事実、アンナさんは啓太に接近しようとしてる。じゃなきゃ、あの子が三分もコミュニケーションするなんて考えられない。なんてことなの」
 ユミ子は壁へのボヤキを止め、クルリと椅子を回転させた。


「うわ、わ」
 啓太はベッド上でのけぞってしまった。
 ユミ子の顔を見ただけ、にもかかわらず。
「お、お前、顔色、大丈夫なのか」
 ユミ子は答えない。すっくと立ち上がった。糸で吊られた人形みたいな動きだった。
「啓太。明日、予定あるの?」
「あ、明日の、予定……?」
「隠すとためにならない」
「……何も、無いが」
 啓太は、サユリとの約束を守った。
「そう」
 ユミ子は、即席でそういう角度に縫い合わされたみたいに、紫色の唇をニイッと引き上げた。嬉しかったのか、それとも隠したことを見抜いていたのか。
「……また会いましょう」
 こわばった顔のまま、ユミ子は出て行った。


 自分の周りで何が巻き起こっているのか判然としない。
(どうしたんだい、俺は。落ち着け。冷静になれ)
 サユリとアンナとユミ子の言動を分析すれば、問題の輪郭が浮き上がってくる気もした。いつもの平静さがあれば、分析できただろうが、しかし平静さがあれば常識を逸脱している物事の分析を行いはしないだろう。非常識な問題に真面目に取り組むなんて馬鹿馬鹿しいから。
 夜、ベッドの上でゴロゴロと姿勢を変えるたび、頭はボーッとしてきたが、目は無意味に冴えてしまった。
 謎メールが来るなら、こんな夜にこそ来て欲しいものだ。暇潰しにはなるだろうに。謎メールの送り手も人間であるとしたら、今頃は寝ていることだろう。ユミ子か? アンナか? サユリなのか? もはや全く予想がつかず、振り出しに戻った感があった。
 そういえば、朝に一度来たきり、メールは止まっていた。
 その時の文面は、確かこうだ。

『まつてるよ』

 やれやれ、と天井に向かって呟いた。
(人生における試練といえば、中学のバスケ大会と高校入試ぐらいしか無かった俺だが、このままプラ板のように平坦な人生を歩めるという見込みでもなさそうだ。今までに無い何かが俺を待ち受けているのかもしれんな。……もしかして、俺は少しワクワクしているのか? だから寝付かれないというわけか?)
 その仮説に至った途端、思いがけず唇から笑いが漏れてきた。
 とはいえ、あまり興奮すると朝になって疲れるから、無理して眠ることにした。
 
 






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