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 さて、突然だけど、国語の現代文の問題を解いてみたいと思う。
 ちなみに、現代文で点を取るためには、一般常識と、三段論法程度の論理力が大切になる。A、B、Cという事項の意味を一般常識によって理解し、「AはBである」「BはCである」「ゆえにAはCである」という具合に文章の流れをつかむ。
 では、つぎの長文の正誤を判定してください。なお、簡略化のために実名は伏せてある。

 人間には霊体(ゴースト)と言われる部分がある。
 これは、「運」や「勘」など、目に見えない力を担当するエネルギー体だ。
 現代は科学優先の時代だから、人は成長するにつれて非科学的なものを信じなくなっていく。現代人は、自分が霊体を持っていることさえ気が付いていない。
 使わない筋肉が落ちるのと同じで、使わないエネルギーは落ちる。端的にいうと、「脱落」という現象が起こる。霊体が本人から離れて行ってしまい、戻ることはなくなる。
 もっとも、霊体が脱落したとしても、「運」や「勘」が鈍る程度であり、すぐに本人の生死に関わるわけではない。現代の生活では、科学技術が「運」や「勘」を代行してくれる面もある。霊体が脱落しても、脱落前と同等の命運を辿って死ぬ者も少なくない。
 ここで、一つのケースを見てみよう。
 ゴースト(以後、甲とする)が本人(以後、乙とする)から脱落したのは、×月×日の未明のことであった。
 甲は脱落してからK町内やA市内をさまよっていたが、とある新興宗教の信者たちに拾われ、現在に至っている。三食宿付き昼寝付きの生活に不満はないので、宗教団体のビルにとどまっている。
 甲が乙の肉体に復帰することを「合一」というが、合一を行わなくても、乙の生存には支障はない。甲によれば、本来乙には、有名女子大→有名企業秘書→企業役員と結婚→片手間に始めた事業が大当たり→日本で最も有名な主婦実業家へ→……という、誰もが妬んで羨む幸福未来が待っていたというが、甲が脱落したためそのコースは無くなった。現在、乙はゴーストの脱落により運気が低下しているため、「悲惨な目や挫折や無力感を人より多く味わい、平均寿命より少々早く死ぬような、何の変哲もない不幸人間」のコースを歩くことになった。甲は「ご愁傷様」と言い、乙と同じ面相をキラキラ輝かせた。
 ゴーストとは、もともと、エネルギーの集合体である。甲は、エネルギーを操ることにより、特殊な能力を出力することができる。それが、世界変態(ワールド・アブノーマル)≠ニいう能力だ。
「この世界全体を、他人の想定した世界に変化させる」という恐るべき能力であり、ひらたく言えば、他人が望んだ通りの世界を実現させてしまう。
 ただし、世界変態≠ェ発動するに際しては、条件や制約があり、それは以下の4つである。
 1:変態を導くためには、「こういう世界に変えたい」という草案を提出し、認可されなければならない。つまり、甲の審査を通過する必要がある。審査基準を満たさない案は、否決される。
 2:放っておいても世界に重大な影響を及ぼし、将来偉人と呼ばれるような人間からは、世界変態の要望を受け付けられない。審査の対象にすらならない。偉人は既に世界を変える力を持っている。
 3:心からの願いしか、世界変態の審査対象にはならない。
 4:他人のための願いしか、世界変態の審査対象にはならない。
 世界を変えるという能力は、何のひねりもないが、極めて強力である。
 そのため、甲が新興教団のメンバーに拾われたなら、神様≠フ座に祭り上げられないわけは無かった。

 以上の文章は、現代文の○×判定問題では間違いなく「×」だ。
 さっき言ったように、現代文は一般常識を使って解かなくてはならない。非常識な内容、良識に反する内容、カルトな内容、などが正解となることはない。
「サラリーマンは裸ネクタイで通勤すべきである」
「殺人は良いことである」
「理想の世界を作るためには日本を滅ぼすほかない」
 と、大まじめに考える学生なんか、大学も文部科学省も合格させたくないからだ。
「幽霊は存在するし、会話も可能である」
 と考える人間も、かなりカルトな人種であることは疑いない。
 ま、カルトでもしょうがないのかな、と翼は思った。大学からシャットアウトされた半端な浪人生が、翼なのだから。
 だから今、新興宗教のビルで幽霊にいきり立ったりしているんだ。
「どうもおかしいと思ったわ。最近、体はフワフワするし、心は靄がかかったみたいに晴れないし。全部あんたのせいだったのね」
 ひどい言いがかりだってことは分かっている。
「甘ったれるな」と言ってくれていいし、「精神科に行け」と言ってくれていい。
 だけど、あんたたち人間に幽霊の問題が分かるものか
 今現在、自分の体で感じている、このとてつもないドキドキ感が分かるものか。
 誰だってあるだろう。好きな人に告白して返事を待っている時間を味わったことが。いい返事さえ返って来れば、自分も他人も世の中もみんな満たされて全て良し。でも、悪い返事だったら、どんなものをどのくらい失うのか想像もつかない世界が来そうな気がする。
 理屈なんかじゃない。とにかく、目の前のこの人が必要なんだという気持ち。その人に生殺与奪を握られている状態。こういうしびれる状況を体でビシビシと感じられないなら、それこそ病院で不感症の治療をしてもらった方がいい。
「お願い。あたしの体に戻って。あんたが戻ってくれたら、あたしは本来のエネルギーを取り戻せるかもしれない。心も体も」
「そうだな。吾が汝と合一したいと望めば、ふたたび一つになることは可能ではあるが」
 バイト初日のウェイトレスのように、怖いくらいの笑顔だった。
「吾は合一したいとは思っていない。汝と合一した場合、吾は元のエネルギー体に戻ってしまう。せっかく脱落≠オて人格を得たところなのに、人格を捨てるような真似をしたいわけがない。独立した人格を、吾は謳歌したいと思っている」
 ゴーストは、陶器に入った冷茶を旨そうに飲み下す。茶の味を反芻するように、ゆっくりと言った。
「合一することは、汝が吾を殺すことと同じ。どうして吾は殺されるのだろう? 人間ではないからか? 幽霊なら殺してもいいからか? 少なくとも、吾は幸せに生きている。信者の願いを叶えて、力になってあげる日々は、とても楽しいぞ。みんなが感謝してくれる。みんなが幸せになる。吾のやっていることは間違っていないと思える。だからいつも充実した気分だ。今この瞬間だって、吾は幸せだ。汝は、どうだ? ただの半端な浪人生ではないか? 吾と合一しなければ幸せになれないのか? 吾を殺して得る幸せが、本当に幸せか? 吾と合一したとして、一般的な勝ち組のルートを歩き、一般的な成功者になること、それが汝の望む幸せか?」
「やめてよ! 急にそんなにいっぱい言われたって、何が何だか分からない」
 翼は耳を塞ぎ、叫んだ。
 なぜか無性に腹が立った。
「予備校の勉強より、汝はもっと学ぶことがある。そのことだけは、吾は確実に言える」
 追い討ちをかけるように言うゴースト。全く悪びれずに晴れ晴れした顔なのが、本当にイラついた。なんで偉そうなこと言われるわけ? こいつ何様のつもり?
「言ったはず。吾は汝の霊体(ゴースト)。一つだけ教えよう。本来、霊体はエネルギーの集まりにすぎないから、人格を持つことは無いんだ。汝は最近、大事な人間に死なれただろう。その人間に生きていて欲しかったという汝の情念が、吾を生み出したんだ。脱落≠オた霊体に、人格を与えたんだよ。どういう意味か理解できる?」
 旋盤みたいに冷たい圧力に満ちた目で、ゴーストは翼を見ていた。
「……」
 証拠が出揃って言い逃れできなくなった犯罪人のように、翼は顔色を失い、何も言えなかった。
「……」
 堀畑晴樹は、パンキッシュなカツラを被せったマネキンみたいに、静かな顔をしていた。彼の頭では現在猛スピードで情報が整理されているだろう。
「な〜んて、言ってみちゃったり」
 澄ました顔で、ゴーストが呟く。
「正直なところ、難しい理屈は二の次でいい。単純に言うと、汝には霊体を手放したままで居てもらわないと困る。先刻述べたように、霊体を脱落≠ウせた汝は、ザセツ多き人生を送ることが決定されている。そして、吾が世界変態≠フ能力を発動するためには、汝のザセツが必要なのだ」
「……え?」
「不幸な体験をすると、気持ちが落ち込むだろう? いわば、不幸には重さ≠ェある。吾の能力は、不幸から抽出した重さ≠フエネルギーを用いて、世界変態の回路を回す。石炭を燃やして蒸気機関を回すのと同じようなものだ。現代っ子なら石炭なんて博物館でしか見ないだろうけど。――ともあれ、不幸の重量≠ヘ、重要。幸福の軽さ≠竍開放感≠ゥらでは、世界変態のエネルギーを抽出できない。分裂していても、肉体と霊体の間には、見えない絆がある。汝が吾のことを自分の一部だと直感できたのも、見えない絆によるもの。合一などせずとも、二人は透明なパイプで繋がっているのと同じ。双方の意識にかかわらず、エネルギーの移行が不断に行われる。要するに、汝に不幸体験が入力されることにより、吾の世界変態能力が出力される。だから汝には分裂したままでいてもらわないと困る。吾の能力を保障するために」
 ゴーストは、ニカッと笑った。
 夏空を先取りしたようなカラリとした顔で、スイカを目いっぱい頬張った後のように。
 翼は顔が真っ赤になるほどブチ切れた。このとき血圧を測ったら、高すぎて真っ青になったろう。
「吾を殺して得る幸せが本当の幸せなのか?」などと言っておきながら、同じ口で「吾の幸せのために不幸になれ」と言うわけだ。まるで詐欺である。幸せな女の子みたいな、傍若無人なめでたい論法じゃないか。と思うのは、翼の妬みだろうか。ていうか、外見的には幸せな女の子にしか見えないんだけどさ。生意気だよ。幽霊のくせに。
「さて。そろそろ信者たちの集会に出るか。吾は、軽い¢カ在。常に幸福な催事に囲まれるのが似合っている。これからも汝には不幸を味わい続けてもらいたい。いずれまた会うこともあるだろう。じゃあ、さらば」
 ゴーストは席から立ち、翼に突き進んだ。
 ぶつかる。
 翼の中をゼリーみたいなものが掻き混ぜていったような感じがして、気が付いた時、ゴーストは翼をすり抜けていた。
 ゴーストが居なくなったあとも、長い後ろ髪に胸の中を引っ掻かれた感触が残っていた。
 

 翼は、狐につままれた思いで、帰りの電車に乗った。
「あれ、翼ちゃんの双子?」
「なわけないでしょ」
 双子だと考えるぐらいしかないだろう。晴樹は赤の他人だから。
 だけど翼は分かっていた。あれは本当に自分のゴーストで、分身だ。
「ねえ、あたしさ、おかしくなってるかな」
「え?」
「これって、怪しげな宗教に引き込まれる一般人の図式? あたし、ハメられてますか?」
「おれは、あの子の言うことは半信半疑だな。幽霊だってのを信じるくらいなら、双子だって言われた方が納得できるよ。だが、もし本当にあの子が幽霊だっていうんなら、翼ちゃんには言っときたいことがある」
「なによ」
 晴樹は堅焼きソバみたいなチリチリパーマの下から、真剣な目で覗き込んだ。
「頼むから、あの子と合一とやらをするのはよしてくれ。かわいい子が二人になったのに、一人消えちゃうのは損失だ。ロングヘアバージョンの外人みたいな翼ちゃんも大いに気に入った。なにより、あの子の開放感っていうのかな、クールなのに天真爛漫ってのは、あんたには無いところだ」
「ふーん。そうですか」
「ああ」
 晴樹はクックッと笑いをこらえていた。自分のお喋りに笑えるとは、幸せな人間だな。
 翼は電車の窓ガラスに後頭部を押し付け、だらりと脱力した。
「おや、もう××駅に着くのか。次で降りなきゃ。寄る所があるんだ」
 晴樹はシートから立ち上がった。
 ヘチマ製タワシみたいなパーマに、干ばつした地面みたいに赤茶けている肌、疫病神みたいな貧相な服装。こんな奴とコミュニケーションを取っているだけで、自分まで汚染されるような気がする。
 ……なんて考えている自分も、まわりから見たら相当みすぼらしく見えるんだろうな、女の子らしく理由もない笑顔を作る意志も湧かないほど、今の翼は無気力。
 浪人生という不安定な身分。どこにも落ち着く場は無くて、そのことを考えると気分は沈んで、
 沈んだおかげで、自分の重さ≠感じられる。
 落ち着く場所を見付けられる。
「どうしたんだ。何か考え事?」
「どうでもいいでしょ。うるさいな」
 気分に任せて八つ当たり。最低だ。ますます落ち込む。
「気を落とすなよ。おれはゴーストガールも好きだけど、翼ちゃんはもっと好きだ。あっちに浮気はしない」
「なにバカなこと言ってんのよ」
「たぶんしないと思う。……しないんじゃないかな。……ま、ちょっと覚悟はしておけ」
「付き合い切れないわ」
 翼はそっぽを向く。誰もいないローカル線の中とはいえ、セリフを選んだらどうだろう。でもこの男なら、満員電車でも同じこと言いそうだけど。本当に、バカな話ばかり。
 ――でも、バカなこと言ってくれて、ちょっとありがとう。
「宗教に引っ張られそうで不安になったら、おれに相談すればいい。一緒に入ってやるから」
「入るのかよ」
「まあ冗談だが、ゴーストガールの話の真偽によっては、魅力を感じなくもないな。あの子が願いを叶えてくれるってのが本当なら、おれの世界改変計画≠ノも実現の目途が立つ」
「そりゃどうかしら。たしか、他人の望みじゃないと審査しない≠ネんて言ってたわよ。あんたみたいなのをシャットアウトするためじゃないの?」
「そうだったか? 神様もひどいルールを決めたもんだなあ。まあ、おれは浪人生だからな。すでに社会からはシャットアウトされてるんで、痛くも痒くもないがな。……おっと、間違った。おれ達は≠ニ言うべきだった」
「言い直す必要ない」
 電車が××駅に止まった。「翼ちゃん、また明日な」と言い残し、晴樹は出て行った。そうだね。明日も、明後日も、その次もね。
 浪人生活は嫌になるほど長いから。


 やがて、翼の降りるK駅に着いた。
 K駅から十五分ほど歩くと自宅なのだが、五分ほど歩くと周囲は真っ暗になる。ちょっとした田園地帯である。
 
 ――汝の情念が霊体に人格を与え、吾を生み出した。この意味が理解できるか?
 
 謎かけのようにゴーストが残した言葉について考えてみる。まったく分からなかった。
 田んぼで鳴き声を上げる蛙君たちに小馬鹿にされている気がする。
 ただ一つ、思った。そんな謎かけなんかより、ていうか、ゴーストなんか現れるより、亜理紗が生きていてくれたら良かったのに、と。切実に、思った。
 夜だけど花粉がすごくて困った。翼は何回もくしゃみをしながら帰った。





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