【セカイ・テキ・世界】 朝の四時に突然入ったメールの音で起こされたとしたら、一般の高校生なら、びっくりするとともに怒りがこみ上げるだろう。 しかし彼女は、メールが入った三秒後にはムクリと体を起こし、ぱちりと開いた目で、メールの内容を検討し始めていた。 『イベント情報: 金曜日。 B町。 ラョトニHィヤ舟┝テレホメム000000000000000000000000000000000000000000000yA ル痕_薄Transzendentale S舫le Der Singularit舩。』 「うーーん。いつも通り情報少ない。文字化け多い。しかし、やってみるしか、ない」 少女は寝言のように、あるいは本当に寝言だったのかもしれないが、そう呟いて布団に倒れ込んだ。 Ψ さて、人間は社会を形成して生活している種族であるから、現実世界というものを殊更に重視する。どうしてかというと、人間社会は現実世界上に営まれるものだからである。 そんなわけで仮想世界はいつでも現実世界より頼りないものと見なされてきた。それは、アニメ・ゲーム的二次元仮想世界であろうとモニタ越しのコンピュータネットワークであろうとおんなじだ。 前世紀中にインターネットが発達してきたころ、「将来は完全なペーパーレス社会が到来するだろう」と鼻息を荒くしていた識者も居たが、今にしてみたら虚妄な予言としか思えない。同じ識者先生が、その予言をする少し前にはノストラダムス予言なんてのをトンデモ予言と断罪したりしているのだから、世の流れというのはまこと面白い。 兎にも角にも、ペーパーレス社会なる未来像が偉い先生方によって公然と創作されたSFに過ぎなかったことは明らかだ。本屋に行けばデータディスクしか売っていなくて売場が六畳一間で済むなんてことは無いし、売買契約書やラブレターが全て電子化したなんていうお話も無い。人間は現実世界に身体を持って生きている。大事な情報は紙媒体で自分の手に受け取りたいという願望は意外と根強いのではないだろうか。 逆に、不必要だったり有害だったりする情報を紙媒体で受け取ると、置き場に困ったり処分に困ったりすることがある。一方的に送られてくるダイレクトメールや、通販のカタログや、宗教の勧誘冊子などがそうだ。 松森啓太が帰宅して郵便受けを開けたところ、そういう種類の郵便物を確認した。 一枚のハガキだった。啓太は表と裏をクルクル見返して、ハガキの地味さにまず驚いた。表には自分の宛名が適当な斜体で印字されているだけであり、裏にはわずか九個の文字が同様の字体で印刷されているだけなのだった。 わざわざハガキを買ってプリンタの試し刷りに利用したようにも思える。 だが、さらに呆れたのは裏に刷られている九個の文字である。こう書いてあった。 悪 し き 女 と 関 わ る な 「返送してやりたいぜ。差出人の名前と住所が書いてありゃあな」 啓太はハガキの字体さながらに空疎な口調で呟き、ハガキをつまんで部屋まで行くと、ゴミ箱上で指を離した。 (この九文字を意味ある日本語として読んでいいんならだが、ずいぶん乱暴な表現だな。「悪しき女」とは。宛先を調べて送ってくるとは手の込んだイタズラだが、これを出した奴はマジメでマヌケのようだな。几帳面にハガキをつくるところはマジメ。女っ気の無い俺にハガキを送るところはマヌケ。俺に女子の知り合いが何人いるのか知ってるのかね。いや、男子の知り合いも女子の一・二倍程度に過ぎない直感はあるけどね) 啓太はブレザーのままベッドに横たわり、今日最大の緊張感を顔に出して天井をボンヤリ見詰めた。その顔と平常時の顔を見比べても、どこが違うのかは本人しか分からない。この醒めた具合は現代日本の高校一年生としては平均的か、若干平均より上といったところだろう。 この国での十五年余の生活は、子供から大人になって老人になって死ぬまで、フシギそのものの事件など絶対に身辺には起こらず、せいぜいフシギめいた事件にとどまることを教えてくれるものだ。ファンタジーそのものを体感するのではなく、ディズニーランドのように、リアルの中にあるファンタジーを体感するのだ。 リアルは、壊れない。 ちょっとばかり耳目を集めるフシギな事件が起きたら、警察が、法律が、マスコミが、軍隊が、経済が、要するにこの広い社会がフシギの芽を摘み取り、鎮圧する。夢の中にしか登場できない超長大な蛇の背中のように、リアルな地面はどこまでもずうっと続き、誰だってその上を死ぬまで歩いて行く。そういうものである。早い話が、ここで啓太が一枚のハガキの謎解きにかまけてみても、明日学校に行くのが免除されるわけではない。 もっとも、この異常な体裁のハガキをムリヤリ日常のくくりに入れてしまうほど啓太はガキでもない。ムリヤリな背伸びや強がりは中学生並の反射運動というものだ。高校生たる啓太は、とりあえずこのハガキを日常よくあるモノではないと認める。同時に、日常を破壊するモノでもないと認める。要は、ベッドに横になった一瞬で「フシギめいてはいるものの、フシギそのものとは言えない事件」へとくくり入れた。 (大阪とか東京で流行したイタズラが、遅まきに我が地方にも流れて来たのかな……と) 啓太はベッド上を二回転ほどして枕に辿り着き、そこに置いてあるモバイルPCを開く。うつぶせのままザリガニみたいな格好でキーをカチカチとやり、だらしないようにも見えるが、脳にはインターネットから何十何百の情報が流れ込んでいるのである。今回のイタズラが過去に無かったか、あるいは現在進行形なのか、ネット上のポピュラーな百科事典を検索してみるのだ。 (ほ〜。「不幸の手紙」か。ちょっと似てるかね……) どうやら似たイタズラで「不幸の手紙」というモノが該当した。「これは不幸の手紙です。同じ文面で五人に出してください。あなたの所で止めると不幸が訪れます。止めた人は三日後に死にました」などと書いた手紙を無差別に送りつけるというイタズラらしい。 しかしネットによれば、「不幸の手紙」が流行したのは二〇世紀であるという。啓太にしてみれば、揶揄の笑みが漏れるほど太古のことに思える。そんな時代のイタズラを現代に復活させることは、極論すれば現代にタイムスリップしたアルタミラの原人が町の塀に壁画を描いて回るのと変わらない。 第一、このハガキは不幸の手紙ほど悪質ではない。他人に回せという指示もないし、不幸に遭うぞと予告しているわけでもない。ただ一言、「関わるな」とあるだけ。 しかし、「悪しき女」とやらに関わったらどうなるのか? 一切書いていないのが少々恐怖を煽るが。 (「悪しき」なんて漠然と書かれてもね。裁判官が「悪い」って言ったら、被告は「悪い」ことになってしまう危険があるよな。中世の魔女裁判なんてそーだろ) 画面の前でうーんと唸っていても腹が空くだけだ。モバイルノートを閉じる。ネクタイの結び目を下に移す。息が少し楽になった。 ところで啓太の部屋は二階である。なぜそれを紹介するかというと、階下で物音がしているからである。 啓太は軽く跳ねるようにベッドから脱出し、曲がり階段をトタトタ降りて行った。 共働きの両親が一階のリビングに居るわけはない。啓太はリビングに至るドアを開き、 「やっぱ、お前か」 三人用のソファに胡坐をかき、松森家所有のポテチを口に挿し込みつつ、一人用のアクションゲームをプレイしている友人。 名を青田ユミ子という。 こういう場面にありがちな設定である幼馴染みではない。中学時代からのわずか三年の付き合いに過ぎない。二人とも程良く純粋だった中学時代、二人とも偶然に生徒会(の中でもどうでもいいポストの)役員を務め、二人ともしばしば生徒会室で暇を潰しているうち、プライベートの生活領域も混交してしまった悪しき見本である。丘の上のユミ子の団地から、ふもとの啓太の宅地まで、位置エネルギーを利用して自転車で滑って来ることができる。 ユミ子は「まあ、ゆっくりしていけよ」というようなリラックスした顔で振り向き、またやかましいゲーム画面に戻る。ぱりんとポテチを裁断して口に送り込むと、 「ん」 と一文字。挨拶のつもりか。 「悪しき女ってのは、お前じゃないだろうな」 「ん〜? んふぁ? んんんんん」 口にモノを入れたまま喋るな、と言っても無駄なのは分かっている。これが隣の宅地同士で三年間暮らして得た成果だろうか。そして、何となく言っていることが分かるのも三年間の成果なのか。「悪しき女〜? 私が? ふざけないでよ」とでも言ったのであろう。ボーイッシュなショートシャギーの髪と戯れているみたいに、両の眉がピンと鋭く上がる。 「悪しき女〜? 私が〜? 何よ急に」 残念。予測と少し違った。 「信じられないだろうから、聞き流されるのを願って言うが、俺あてにイタズラハガキが来てな。裏に書いてあったんだよ。悪しき女と関わるな、とな。何だろうねこれ。イタズラと結論してもいいのか?」 「手紙でも督促でも勧誘でもないとしたら、無駄なことをする人間も居るものねえ。でもイタズラって本来無駄なものかなあ。そのハガキっていうの見せてよ」 ポテチを飲み込んだらしいユミ子は、ゲーム画面に正対したまま命令する。 (あいつは、まったく、朝となく夜となく、うちに来ない日が珍しいんだからな) 再び階段を上がりつつ、啓太はこの家の主人がユミ子なのではないかと錯覚してくる。 しばしば言われることがある。「啓太は淡白なんだよね」と。その点、青田ユミ子は凝り性な面がある。啓太が何となく買って積んでおいたゲームをやり込みに来るし、マンガや小説は読破しに来るし、しかもミステリやラノベの嗜好が一部かぶっているものだから、無下に扱うこともできかねる。性格は全然ちがうのだが、好きな酒の銘柄は共通している飲み友達のようなものだ。――などという比喩を最近読了したミステリから持ち出し、独白してみる。 そんな独白のせいだろうか。 ゴミ箱に捨てたはずのハガキが嘘のように消えてしまっているのは。 これは確かにミステリだ。 「無かった」 とリビングに戻ってユミ子に伝えたところ、 「あ、そ」 と返された。 ゲームは終了し、ソファにゴロ寝していた。 「あれ、ゲームやめたのか」 「まーね」 ソファが啓太の足元にあり、ユミ子は啓太側に頭を向けて寝転がっていた。ということは啓太は真下にユミ子の上下反転した顔を見ることができるのだが、どうやら物思いに耽っているらしいユミ子が何を考えているのかは分からない。そこまで見抜くためには幼馴染みレベルの初期設定が必要なのかもなあ、などと考えてみる。お互い反転構図でジーッと見詰め合ってから、ユミ子は啓太の鼻先を掠める勢いで立ち上がった。 「今日は帰る」 と言って一直線に玄関へ向かい、学校推奨のローファーに足を埋め込むと、キッと啓太を見る。 「あのさ、ハガキのことなんだけど。啓太、どこかの女の子とトラブったりしてんの?」 「俺の毎日の生態なら、お前もよく知ってるはずだが?」 「そうよねえ。イタズラハガキで脅迫されるほどモテる男のわけないからねえ。淡白な男って人気無いのよ。女はやっぱり、ぐいぐい引っ張って行ってくれる暑苦しいくらいの男が安心できるから……。ま、ハガキ事件が面白い進展でも見せたら私に教えてよ。じゃね」 ユミ子はダンスの一挙動みたいに、クルリと反転しながらローファーの爪先をタイルに一打ちした。そして次の一挙動で自分の演目が終了したみたいに出て行くのだった。 (そういえば、ユミ子は何でこんなによく家に来るのかな) 部屋に戻りつつ考えてみる。すぐに答えが閃き、それは「ひょっとするとあいつは俺が好きなのだろうか」ということであった。 が、啓太はその仮説を詰めるのは避けた。なぜなら啓太は淡白だからだ。なにごとにも淡白でなければおかしい。当然、恋愛問題に関しても淡白を通すべきなのである。事実彼はそうしていた。 そして、今度は携帯であった。 何もない部屋に何日も閉じ込められて観察されるという心理学実験の被験者のように退屈し、その退屈にも疲れたりしてゴロゴロしていたところ、携帯がポケットの中で鳴った。 メールが一通届いていた。 透明なアドレスからのメール。 まばたきしても文字列が浮かび上がってはこない。アドレス欄には@さえ無かった。 どうやって届いたのだろうか。 アドレスが表示されないウィルスにでも感染したのだろうか。 メールを開くと、一言、 『ししん、とどきました?』 もちろん啓太は放っておいた。見知らぬアドレスにいきなり返信するとしたら、フシギな物語の主人公になる資格は十分あるが、幸福なことにここがリアルの世の中であることは肌身に沁みている。この世界には、迷惑メールという便利なイタズラ手法が存在する。この薄気味悪いメールに返信したとしてもファンタジー世界への扉が開くわけではなく、架空請求メールや一層おびただしい迷惑メールの嵐に発展するだけだという予想がつく。 「やれやれ」 啓太はカチカチとボタンを押し、事務的にイタズラメールの削除を完遂し、ベッドに携帯を放り捨てた。いつもより遅く部屋着に着替え、制服をハンガーに掛けたりしていると、次のような思考の戯れが湧いてきた。 メールにあった『ししん』というのは、漢字にすると私信≠セろうか? 『私信、届きました?』と言っているのだろうか。 私信≠ニ聞いて思い当たるのは、例のイタズラハガキぐらいしか無いわけだが……。 「はー。あほくせー」 くだらんイタズラについて脳味噌を使うこともまた、くだらんことに思える。この時点で啓太はハガキとメールのことを考えるのをスッパリ中止した。もちろん、ごみ箱に捨てたハガキが無くなっていたことも含めてだ。 所詮イタズラはイタズラどまりなのであり、その薄っぺらいイベントの背後にとてつもないフシギな世界が広がっていることなどない。あるわけない。断じてない。 であるから、引き続いて携帯電話が謎メールの受信を繰り返し、その日のうちに十一通もの謎メールを受信する事態が起こったとしても、啓太はスタンスを変えなかった。いやじつは五通目が届いた時にメールアドレスの変更を施してみたのだが、透明アドレスの謎メールは粛々と届き続けた。どれも一方的に語り掛ける感じの一行程度のメールだった。 『ししんとどいてよかったですね』『いつしよにがんばりましようね』 いったい何を言いたいのか、まるで分からない。それに、相手の通信機器には小文字を入力する機能もついていないようだ。啓太は小馬鹿にされているような不快感を覚えた。迷惑メールならば、有害サイトのアドレスぐらい貼り付ければいいものを、それもない。 しかし意味が分かる文面もあった。それは、寝る前に立て続けに入った三通である。 『わたしはあなたのすきなひとです』『ちかいうちそのひととのせつきんやせつしよくがあるかも』『おたのしみにね』 「なんだ、このメールは。占いかよ」 思わず失笑した。恋占いまでしてくれるとは、親切な迷惑メールであることだ。しかし、今夜徹夜でラブレターやメールを書こうと思っている恋愛モードの純朴少年にとっては役に立つかもしれないが、恋愛と言う語を辞書で引かなければ思い出せないほどに満遍なく淡白気質にコーティングされている少年には、馬の耳に念仏、人間の耳にイルカの超音波といったものである。 「すきなひと≠ゥい。これまた恥ずかしいくらい懐かしい響きの五文字だな。そもそも好きな人なんてのは俺に居たもんかねー?」 啓太は目をつぶり腕組みして考えだす。パソコン内に保存したかどうか不明な(たいがい保存していないのだが)ファイルを検索するように、長い時間をかけて考えてみた。 けれども、将来同じ墓に入ったり一時的に同じ戸籍に入っていたりする女子の名前は一向に浮上しなかった。 一度だけ、クラスでも別格の畏敬と信望を集めている神内(かみうち)サユリの座像や立像を思い描かないわけではなかったが、なにしろ彼女は周りの女子や女担任にも遍く好かれているクラスの象徴的存在であるから、一般的男子ならば反射的にサユリの姿を想像するくらいのことは罪になるどころか、むしろ健全さを計測するバロメーターになる。アッシュブロンドの奥ゆかしく光る長髪、彼女の心の身軽さを表しているようなミルクチョコレート色の瞳、太陽にキラキラと照らされた新雪のような肌、そこそこ優等生でありながらなかなか天然キャラでもあるという二面性、などなど。こういった神内サユリの特徴がどうして啓太を含む男たちの心を掴むのかは分からないが、この問題を敷衍するとどうして人間は人間を好きになるのかなどという哲学的問題に至る懸念がないわけでもない。事実魅力的だと思ってしまうのだから仕方がない。そしてベッドの上で果てしない思弁に耽っていても更に仕方がないので、啓太は眠りにつくことにした。 |