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                    Ψ
 
 彼女の名前、いや型番はbh7−a063325k。そう、分かるね。彼女は人間ではなく、H.L.H.。
「ヒト状劣後人間」、つまり、ロボットさ。
 君も知っての通り、20××年に「H.L.H.貸借法」が定められて以来、H.L.H.はお手伝いロボットや作業用ロボットとして徐々に広がりつつある。
 まだまだ一般家庭が簡単に払えるリース料じゃないけどね。だけど今年の秋には貸借法から所有法に改正されるから、段々普及するんじゃないかなー?
 私はアシモフ博士じゃないんで、ロボットの話はひとまず置いておこう。
 彼女を何のために連れて来たかっていうと、君の代役だよね。
協会≠ヘ、いろんなデータを君から取りたいと思ってるみたいだよ。ラットを毎日違うシチュエーションに置いて、データを取ったりするじゃない?
 君の人体実験……。じゃなくて、データ採取は、日数がかかるみたいなのね。
 国としては、人工政府≠フ研究は極秘裏に進めたいし、人工政府≠ェ実用化されてからも、表向きは人間の政府が政治をやってるように見せたいらしいのね。
 だから、人工政府≠フ研究に君が連れて行かれたことは認知されたくない。噂すら立てられたくない。君が長期間学校を休むと、あらぬ噂が立たないとも限らないじゃない?
 彼女……。そうだな、フェイク≠ニでも呼ぶかな。君の贋物(にせもの)だからね。
 君が協会≠ノ行ってる間、このフェイクが君の代わりをつとめる。見掛けは良くできてるでしょ。H.L.H.の顔面パターンは九十万通りもあるからね。
 三世代前の型式で、最古参と言ってもいい旧型だけど、これが一番君の顔に近かった。肌のツヤも良好だし、胸なんか君より大きい。というか君が小さすぎ。ロボットに色気で負ける女。ぐふふふふふふふ。
 
 
 相変わらず、桐生一男は胸糞悪い演説をぶってやがる。
 ん? なんで俺が屋根裏に戻っているのかって? 桐生一男がフェイク≠ニ呼ぶ奇妙な女に首根っこを掴まれ、連行されたからだよ。怪力なんて言って笑っちゃいられなかったよ。マジで首の骨を折られるかと思った。
 初めて見たが、これが、H.L.H.っていうロボットかよ。いつもニコニコしやがって気持ち悪い奴だ。一応言っておくが、俺はそんなにおしとやかじゃないぞ。
 確かに、この女の顔が俺に似ているのは認めよう。それでいて、俺の鏡像のようなキモさやダルさやムカツキがねえってのは、こいつが俺のクローンじゃないからというだけではなく、無作為に作られた九十万分の一の顔を持っているからだろう。要するに、まるっきり俺ではないのに、俺とほぼ同じ顔を持つからだろう。
 一言でいえば、他人だ。
 こいつの紅水晶のような虹彩を見てそこらへんの女よりキレイだと思ったり、俺もカラーコンタクトを探してみようかなと思ったり、ツインテールが意外に似合っているもんだなと思ったり、顔の皮をめくっても真っ白な肌が果てしなく出てくるんじゃないかと思ったり、つまりもろもろの萌えを俺が感じつつあったとしても、それは断じて俺がナルシストだってわけじゃない。そういう柄じゃねえのは分かるだろう? 
 むしろ俺自身、俺に敵対する代表選手のひとりだと自認している。鏡に映る自分を見て、「あたしって美人よね」なんて惚れぼれしている人間が存在するとしたら、そいつらは全員脳味噌がとろけていやがる。だからこの世界までもカレーやシチューのようにとろけて、さぞ旨そうに見えることだろうよ。
 しっかりと脳味噌が健常な俺は、鏡を見れば、自分の顔のキモさぐらいは嫌でも目に入る。
 乾いた砂みたいにやる気がない目。部活をやめて以来運動不足で青白く自信なげに沈む顔色。やけくそみたいに抜けるような金色に染めてみたが手入れ方法も分からず枝毛だらけになっている長い髪。どれもキモくてムカついてくる。なんでこんな奴が存在しているんだろうな?
 だから、分かるだろう? いくら姿形が似ていても、このフェイク≠ニやらは俺の鏡像とは決定的に違う。こいつは真っ赤な他人様であって、偶然に俺と見分けが付かない顔の構成を持っているだけであって、同じ顔をしていても俺はこいつに毛先ほども関わりがないわけだ。
 そういう事情だから、今こいつに多少萌えっぽい兆しを感じている俺は、ナルシストなんかではない。これは普通だ。女が男に興味を引かれたり、男が女を気にしたりするのと同じ、ノーマルなことなんだ。
 まてよ、俺が女に興味を持つのは普通のことなのか? これはアブノーマルな領域じゃねえのか? 男に混じって空手ばかりやってたから変になっちまったのか? いやいや、待て。結論を急ぐのは早計ってもんだ。その疑惑は保留しよう……。
 そうだ、こいつは女の前に、ロボットなんじゃねえか? H.L.H.法とやらは詳しく知らねえが、こいつが女なのは見掛けだけなんで、本当はロボット以外の何でもねえはずだよな? 
 はっはっは、そうか、安心したぜ。俺はアブなくなんかないや。ロボットに興味を持ってるだけの、健全な女子だわ。
「まー、そんなわけなんでねー、学校のことはフェイクに任せましょう。君は早速協会≠ノ行って頂くということで」
 桐生一男が身勝手に俺の腕を掴みやがる。腐った煮こごりみたいな、ブヨブヨした手だな。
 思いっ切り払いのけてやる。
「あ、君ー。そんなことやっちゃっていいのー? 私は国家機関の代理人(エージェント)なんだよー? 今まで優しく言ってあげてるけどね、本来は君に断る権限なんて無いんだよ、これは国の最重要ミッションなんだから君は絶対に来ることになるのよ、権力の乱用とか人権侵害とか言うかもしれないけどねえ、そういうこと定めてる法律からして人間に使用されるものなんですから、客観的規則を適用するのは主観的思考なのよ。簡単なことなんです、人間というのは利益なら手に入れようとするし、害悪なら排除しようとします、それだけなんです、自分の利益になるから、かくかくの法律を当てはめます、自分の害になるのがムカつくから、しかじかの法律で排除します、人間どもはねえ、深いところにある感情のままに転がるボールですよ、そのボールふぜいが服を着たりバッジを着けたりしているだけなんです、こっけいなものでしょうが? 法律なんて嘘っぱちです、嘘っぱちだと言ってしまえばね。こんなのは、狂ったゴッコ遊びですよ、どうせ狂っているのなら何をしたっていいんです、何をされても仕方ない、だからあなたの人権なんか――」
 くだくだしく喋っている桐生一男を放り出し、俺はフェイク≠ニやらをまじまじと見てみた。
 ……うぅん。
 ……くそ。なぜなんだ? 俺と違って、華があるな。
 こいつには、「芯」があるぜ。秒刻みで色が変わるネオンみたいな桐生一男の顔とは大いに違う。こいつには何事にも物怖じしそうにない雰囲気を感じるよ。何を言われたって、何をやられたって、いつもニコニコして役目を完全遂行する。そんな純粋さが顔に出ているよな。
 とは言っても、こいつの根っこにあるものが純粋な善なのか純粋な悪なのかは、まだ判断がつきかねているけどな。
 だけど今の俺は、なぜかこのロボットの純粋さを惜しげなく発揮してもらいたい気分になっていた。
「おいロボット。俺が協会≠ニやらに行ったら、おまえは俺の代役をするのか?」
「その通りよ」
 ニコニコ。
「できる自信、あるのか?」
「もちろん。あたしはその為に来たから」
 ニコニコニコ。
「だったら、狂った笑い袋みたいに喋りまくるこのボールを、今すぐ黙らせろ。俺ならそうしてる」
 フェイクは笑顔を一瞬やめ、桜色の瞳をキョトンと見開いた。
 桐生一男の心情と俺の心情、どっちを優先しようか悩んでいるのか? 
 数秒の静寂が流れ、――やつは再びニコニコを取り戻し、首をかしげて俺に頷いてみせた。
 ツインテール女は、華奢な二の腕で、膨張したボールのごとき桐生一男をとらえ、フォークリフトのように窓辺まで奴を持って行き、「ボールは弾むものだから、きっと大丈夫でしょう」とでもいうように、さりげなく放り投げた。
 俺は、フェイクと一緒に窓の下を覗いた。桐生一男は足を押さえて、文字通り転げ回っていたが、「てめーら、絶対に後でひどい目に遭わす」と遠吠えすることは忘れなかった。普通なら少しは同情も湧いてくるようなシチュエーションなんだが、こいつの場合、むしろイライラさせられるから不思議だ。このあと、顔を真っ赤にして俺達を睨みつけていた桐生一男は、遊具を駆け上る太ったハムスターのように屋根裏まで飛んで来やがったが、実にタイミングよく閉まったドアにグッチャリと全身を打ち付け、それっきり俺達の所に豚が鳴くような不快音は聞こえなくなった。鼻血でも出していやがるんだろうさ。
「どうして鍵を閉めたんだ?」
「黙らせろという命令が出ていましたので」
 俺は思わずフェイクを見詰めていた。だって、おかしいよ。そうじゃねえか? ここまで引率してきた桐生一男の言うことを聞くんなら分かるぜ。なんで、初対面の俺の命令を、ここまで徹底的に聞くんだ? 
「ねえ。協会≠ノ行ってみませんか。あなたの留守はあたしが全力で預かりますから」
 ドアを向いて立っているフェイクの横顔が言った。その表情については、すでに言うまでもないだろう。
「帰って来たら、俺あての逮捕状が出てたりしねえだろうな……」
 俺は嘆息したが、実は内心そうでもなかった。
 むしろ、愉快な気分になっていた。こういう面白い時間を感じるのは久々のことかもしれないな。
 そうだ、小さい頃は毎日、毎時間、こんな気分で暮らしていた気がする。中学生になるころには、「嫌だけど勉強しなきゃいけない時間」なんてのが割り込むようになった。高校生になり、三年生になった今は、「ムカつく時間」だけになっていたんだろうな。愉快さってのがどんなものか、今まで忘れていたんだもんな。
 俺は、このフェイクとやらを学校に行かせてみたいと考え始めていた。
 こいつなら、俺と違って学校を楽しめるのかもしれない。
 俺が協会≠ゥら帰って来た時、三年二組の小野まゆみっていう人間はどういうキャラになっているんだろうな。知らねえクラスメイトに話し掛けられたりするのかもしれん。……だが、どうして俺はそんなことが気になっているんだろう。
 俺はドアを開け、あんのじょう鼻にティッシュを詰め込んでいた国家公務員を部屋に入れてやった。
 俺は協会≠ネんかには行かないと桐生一男に伝えた。
 ごく当たり前のことを言って申し訳ないが、こんな人権無視の拉致行為が許されると思うか? そんなわけないだろう。
 だから、三日後だ。
 三日の間に、俺はフェイクへの引き継ぎを済ませておく。そしたらフェイクも心おきなく学校へ通えるだろう。
 正直、学校に行くのは、協会≠ニやらに行くのと同じぐらい、どうでもいいものがある。いや、正しくは両方とも意味が分からないし、俺をムカつかせることは確かだから、どっちも有害なんだがな。まったくどっちも気にいらねえ。真性のマゾだったら、イヤなものに囲まれて気持ちいいんだろうが、あいにく俺は気持ちのいいものを気持ちいいと感じる普通人のようだ。
 だからこう推察できるわけさ。どうせ学校に行くんなら、学校を楽しいと感じられる奴が行った方がいいってな。全力で俺の代役をやりに来たというロボットの方が、俺よりは遥かに充実した学校生活を送ってくれそうじゃないか? だったらフェイクを学校に行かせてやるのは自然だよな。俺が学校に行くのは、不自然なんだろう。……ふ、ふふ、ムカつくぜ。勝手に参入して来た奴に学校に行かれる方が、俺よりも似合っているってんだから。どうやら俺がやっていたのは椅子取りゲームだったようだな。こいつに座られた以上、俺の座る椅子は無くなっているっぽい。
 いや、椅子は一つだけ残っていたな。俺専用のゴンドラが、さっきからドア全開で待機していたっけ。行先の看板には、人工政府創出検討協会=B
 仕方がないな。そっちに乗るとするか。このVIP待遇からすると、エクセレントなイベントが起こるかもしれねえし! 
 そう、たとえばだ、俺を待ち受けてくれているのは、世界トップの凄腕マッドサイエンティストかもしれない。人工政府′、究に協力してくれたお礼にと、ムカつきが止まらない俺の体をバラバラにし、まったく新しい俺に組み立て直してくれたりするかもしれねえ。
 矛盾した言い回しかもしれねえが、俺は俺のまま新生してみたい。できるものなら、な。
 どうしようもない奴ってのは、やっぱり居るんだよ。現状じゃどう見てもジリ貧でしかなく、全部なかったことにしてやり直すか、記憶はそのままで時間を巻き戻すか、そうでもしないとダメな奴ってのがな。
 ……ははは。あるわけねえ。そんなラノベみたいな奇跡が簡単に起こっちまうもんなら、この世界はもっと幸せだろ。だからラノベは虫酸が走るんだよ。
 どうだ、この俺を見ろ。人工政府創出検討協会≠セぞ。何やら国家的な陰謀ないし計画に巻き込まれようとしているぞ。なのにこの胸の不快感は何よ。俺の中に渦巻いているネガティブな感じは何だよ。
「仕方ないなあ。じゃあ、君の希望をきいてあげるからね。逃げないでよね。逃げたって内閣府なんだからね。すぐ捕まえられるんだからね。上がOKしてくれたから、三日は猶予してあげるからね。必要な情報はフェイクに引き継ぎしておきなよ。贋物がボロを出したら、君が困るんだからね」
 堂々たる豚足をムッチリと靴に押し込みながら、桐生一男は言った。
「フェイクの方もだよ。今回のチャンスの意味は分かってるよね? せいぜい頑張るんだよ。じゃあね」
「気を付けてお帰り下さいね☆」
 俺と同じ顔のロボットは、丁重に愛嬌を作った。うえっ。ひどい違和感が地吹雪のように体を這い上がってきた。
 こうして、学校に並ぶムカつきイベントを持って来た男は去った。……わけだが、俺の隣には、確かにラノベの筋書きが始まったことを物語る異常存在が残ったのだった。
 看板倒れにならないよう、ライトなイベントだけが起こってほしいもんであるな。そうだろ、ラノベ大先生? ……なんてな。
 以前、俺はこう言ったと思う。現実の出来事ってのは台座に固定されている銅像みたいに重たくて、ラノベ上のお話みたいに一笑に付しちまうことはできないものなんだ、と。
 それならば、だ。
 ラノベそのままの筋書きが現実のものだったら、それはどういう評価になる? だいたい想像できるだろう? 極めてバッド、としか言いようがねえな。そうだろ。ラノベ同様の怪奇・阿呆・超常なイベントが続発し、それが全部現実だというわけだから、そのストレスを背負わされてウンウン唸るのは俺なんだろうさ。何の因果があるのか知らんが、ていうか突然降って来たもんに因果なんか無いんだろうが、俺は極めてバッドな一つの現実をこの屋根裏に迎え入れてしまった。むざむざ貧乏クジを引いたもんだよ。
 だけど俺は、苛立ってだけいたわけではなく、バナナの実に占める種の割合ぐらいは嬉しさを感じていたんだと思う。自分の片っぽのほっぺたに、しおれ始めたキノコみたいなシワが浮かんでいるのが分かったからな。なんで俺はほくそ笑んでいるんだ? 
 この状況は、そうだ、おみくじで大凶を引き当てた時に似ている。「終わった」気分の中に、「何かが始まったな」という光が降り注いでくる感じ。やけくそ、捨てばち、開き直り。どれもちょっと違うが、どれも結構近い。
 たぶん、俺は何かをあきらめたということだ。少なくとも明日からしばらく学校に行くのはコイツ――フェイクであり、俺が学校に行き、つまらねえ思いを感じ、委員長に白い目で見られ、誰かをブン殴ったりするという生活は無くなった。あきらめたのは、そういう一つの現実なのか? 元からウンザリしていたものを「あきらめる」というのも、変な話だな。
 はっと気が付いたら、飼い犬みたいに俺から目を離そうとしないフェイクが居る。
 まあ、とりあえず、学校へはコイツを送り出してみることとするか。







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