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【政府系ライトノベル!】


  なあ、学園モノのライトノベルには、手っとり早く言って二パターンの導入が考えられると思うんだが、どうだい。
 一つ目はいきなり大事件やバトルをヒステリックにおっぱじめるやり方で、もう一つは何気ない日常の授業風景なんかからスタートするやり方だ。
 俺としては、一つ目の導入には全く賛同できない。だって、十八歳に手が届こうかという俺の判断力を考えても、おとなしい導入の方が自然だろう? いい歳になって、体長百メートルの怪獣が町を襲撃したり、部屋の机から願いを叶えてくれる青いロボットが出てきたりしてたまるか。
 ラノベに相応しい現実離れしたキテレツな超事件なんていうのは、俺たちの日常にゴロゴロと転がっているわけじゃないんだ。
 まったく、ラノベってのは下らねえ。ひまな高校生活の時間潰しにと、古本屋でまとめ買いして二十冊程度読んだことはあるが、あの読書経験は俺の人生の汚点と言ってもいい。
 やれ超能力だの、タイムスリップだの、選ばれし少年少女だの、どう考えても、というか考えるまでもなく、ありえねぇ。
 ラノベを読む奴ってのは、超能力(笑)とかタイムスリップ(笑)とかの大前提を、女が占いや血液型を信じるみたいに、頭から信じ切っているめでたい脳構造なんだろう。イワシの頭を出されたって神様だと思うんじゃねえか?
 ラノベ的な超事件・超設定は、現実から浮きすぎだ。一から十までありえん。
 剣と魔法だぁ? 剣の時点で、銃刀法違反だろうが。
 超能力だぁ? この世の物理法則を否定したところから始まるような力を使うような奴らが珍しくないんなら、この高校にもきっと何人か居るんだろうな? そして、そいつらは真面目に物理の授業なんかを履修しているわけか? 頭の中を切り開いて見せて頂きたいものだな。
 そんなわけで、ラノベなる有害物は、手に取っただけで置いたよ。
 俺がその汚点から教わったことは、現実世界に目をつぶったところにしか成り立たない事件や設定なんていうのは、現実世界の風に吹かれて飛ぶゴミクズでしかないってことだ。
 かといって、現実世界がゴミクズ以上の価値あるものかというと、それに頷くことは難しいな。
 現実ってのは無性に腹の立つことが多いし、退屈だし、しかもそういうスタイルで安定しているときたもんだ。現実のできごとは、腹の立ち具合や退屈具合に説得力があるんだな。
 現実ってのは、重たいぜ。台座に固定されている彫像みたいに、動く気配もない。ゴミクズみたいに吹き払っちまうことは絶対に無理な注文だ。
 そういうわけで俺もまた、鉄の雨のように万人を打ち抜く現実の安定性に翻弄され、今日も現実的一日を送る。他のやつらと同じようにつつがなく三年に進級した俺は、一年間積み重ねればつつがなく単位取得につながる授業を受けているわけだ。いや、正確には、授業が実施されている教室に体だけを置き、頭ではよそごとを考えているわけだ。
 ちょうど教室の真ん中らへんに座っている俺は、ちょいと首を動かすだけで、およそ二四〇度の視野の中に、大半の生徒を眺めることができる。ひょっとして、椅子から垂直に背を伸ばしているのは俺だけか? クラス全員、背中を丸めてノート取りを頑張っていやがる。
 一回りでかい岩のような背中は、空手部の大熊信吾だ。高校三年生っていうラベルの効力は大したものなんだな。新しい教室に慣れてもいない時期から、大熊みたいな空手バカにさえ真面目にノートを取らせるとは。来るべき受験への緊張感ってやつか。全員ご苦労なこった。 
 そこへいくと、この俺は違う。教科書すら机に出さず堂々と腕組みしている生徒は俺ぐらいのものだろう。大熊をはじめ、要領の悪い大多数の生徒とは異なり、俺は二年間の高校生活において、勉強が自分に向いていないということを確信した。
 俺は、自分の成績がどのぐらいのものなのか知らない。学期末に通知表が渡されても、とっととハンコだけ押して返しちまうからだ。俺のカバンにはいつでも三文判が忍ばせてある。はっきり言ってしまうと、俺は自分の成績を覚えていないほど、勉強ってものに対して馴染みがないのである。
 暴力教師の呼び声高い化学のヒキガエルすら、去年の終わりには俺を怒ることをやめていたからな。北欧の白人さながらに透き通った金髪に染めている生徒の顔が見えなくなったわけでもないだろうに。俺が暴力で対抗するものだから、奴もいちいち面倒くさくなったんだろうなあ。
 そして、今の時間は何の授業だったかな。古典か。はは、いとおかし。三年生になってから、何の授業が何曜日なのかも分からねえ。
 俺は、この落ちこぼれた現実から逃れることはできん。だからまったく、現実ってのは重い。俺は明日からもずっとこの席に座し、ド田舎に居ながら海外の言葉について聞かされたり、いとものあわれな昔人の日記を閲覧したりするのだ。
 なんていうか、「人間がこの歳になったらこういうことをしなきゃいけない」っていう指針は、どうやって決まっているんだ? 
 倫理社会の教師が、どこかの哲学者の言を引き、「汝なすべし」などと言っていたのを記憶している。ひょっとしてみると、日本のどこかには「汝なすべし協会」みたいなものがあり、そこに勤務している哲学者どもが俺達の人生の雛形を製造しているのか? 
 しかし、まったく月並な悩みなんだが、そういう雛形っていうのは、どうして雛形なんだろうな? 
 つまり俺達は小学校ではランドセルを背負い、中学では初めて制服を着て、高校でもしつこく制服を着て、何年間も勉強というものをやり、就職したり大学に行ったりするわけだが、そういう雛形はいつの間に決まったんだ? 
「なすべし協会」のやつらが俺達から多数決でも取ったのか?
 それならまだ話は分かる。
 が、俺のところには「なすべし協会」からの電話はおろか、アンケートハガキすら送られて来たことはない。
 つまらん。
 なんでこんな毎日を過ごさなければならんのだ。
 いっそ俺も勉強ができたらなあ。そしたら、空手に打ち込む大熊信吾みたいに、勉強に打ち込むのが楽しくてたまらなかったかもしれないな。学校に来るのが楽しくて、遅刻しないためにはトーストをくわえて全力疾走さえしたことだろう。
 だが俺には、勉強が向いていないことを見抜く才能が無駄に搭載されていたんだな。
 勉強つまらん・学校つまらん・人生つまらんという三段跳びで、ダメ高校生の極北にお着きというわけだ。
 そして俺は、春のうららかな空気に幻惑されてノート取りに快感を見出している生徒どもを、凍える極北の地から眺めてみたところ、やつらが「なすべし協会」のペテンにかけられていることを遂に見抜いた!
 だが、だからなんだ?
 みんなをペテンから救い出したり、「なすべし協会」に反旗を翻したりすることは、俺の役目ではないだろうよ。
 ずうっと昔の学生たちは、そういう暑苦しい事業をやっていたらしいぜ。現代でも、一部ロックバンドの歌詞などには同様のマインドが見られる気はするがな。
 俺にとっての最大の問題は、俺がいつになってもこの現実的日々から逃れられそうにないということ。それだけだ。
 勉強は、元から向いていなかった。ラノベなんかへの逃避も、陳腐だった。まったく、俺には、県立五高の冬服が、近未来の恐るべきロボットスーツに思えてくる。それは俺が着るのではなく、そいつの意志で俺は中に包まれ、自動的・反復的に登下校行為を繰り返しているのだとさえ思える。この自動ロボットスーツが、気まぐれに俺じゃない誰かを「中の人」に選んで学校へ行き始めたとしても、中身が変わったことに気が付く人間は一人も居ないんじゃないのか。
 ……それはまあ、さすがに言い過ぎだな。俺みたいな金髪がゴロゴロしているわけでもないし。
 おっと、授業が終わったみたいだ。
 最後の授業まで学校に居たのは久し振りだな。今日は放課後に担任に呼び出されるんだ。
 問題でも起こしたのかって? いや違う。全員やられる進路相談というやつだ。全員強制なのに「相談」とは、あたかも生徒の方から先生様のご高見を仰いでいるみたいだな。
 三年になって早々に進路の話を始め、受験ムードを高めていこうという算段、結構なことだ。それが学校という所の仕事だもんな。俺もこの学校の生徒である以上、先生方のお仕事に付き合うとしよう。
 それで、面談はどこでやるんだ。教室か? 進路指導室か?


 校庭かよ。
 俺は、砂の上に三つほど並でいる椅子に腰を下ろした。
 二十メートルほど先では、前の出席番号の大熊信吾が、担任と差し向かいで面談中である。落ち武者にメガネを掛けさせたような風貌の担任だけども、風変わりなのは見掛けだけではないようだな。青汁にサクラエビをちりばめて掻き混ぜたような汚い葉桜の下で面談とは、オツじゃねえか。サッカー部や野球部のやつらがうるさすぎて、面談どころじゃないぞ。まあ、大熊の声は、しっかりここまで届いているがな。肩幅が普通人の倍なら、声量も倍ときている。
 
 
「時間の無駄だな。さもなければ、不愉快な茶番劇」
 艶っぽいと同時に、尖ってもいる声がした。
 隣の椅子の少女が、パタリとラノベを閉じた。
 この女は、面談の待ち時間にまでラノベを欠かさないほど、ラノベを愛好している。
 そして、俺より後の面談にもかかわらず、俺より先に来て待っている模範生でもある。
 こいつの名前は、桐生寧(きりゅう ねい)。銀縁の細メガネとクラス委員長の肩書きを持つこの女は、俺を見下す眼差しを隠そうともしない。安心しろよ。俺が近くに座ったからって、成績の悪いのが伝染するわけじゃないからさ。
 恐らく授業中は俺の背中にも向けているだろう白けきった目を、桐生は担任に投げ掛けている。
「教師は生徒の邪魔にならないように控えていればいい。奇をてらって面談が校庭などと、そんな余計な工夫は要らん。教師が生徒の力になれるとでも思っているのだろうが……。余は一人で勉強して一人で東大に入る。最初からその路線があるのみ。他人の介入など、邪魔」
 一足早く夏の草いきれでも味わっているみたいに、不愉快そうに呟いた。
「そんな愚かな担任も、輪をかけて愚かな生徒を相手にするのは大変なことだろう。年間を通して通知表に桜が咲いている生徒の進路など、指導のしようがあるまい」
 桐生が独り言を続けているのだろうと思い、俺は意に介しなかった。
 だがまて、少し頭の中で転がしてみたら、それは俺のことか?
「十八回目だ」
 桐生は俺を見ようともしないで言う。
「そのチカチカする金髪で余の前に居られると、授業における良好な視野の妨げとなり、長期的には視力の低下も懸念される。髪を黒に染めて来るようにと、余は既に十七回も言った。貴様の頭の中には、脳細胞が一個もないのだな。代わりに胃袋でも入っているのだろう」
 なるほどな。脳細胞が無ければ学習能力も無い、だから俺が言うことを聞く見込みは無い、と。それが分かっているから、コイツは俺と目を合わせず、独り言に終始するわけか。
 まあ、これはよくあることではある。いつもは場所が教室であり、今日は野外だというだけだ。
 こいつが呟くなら、俺もいつも通り呟かせてもらおう。もちろん桐生のいまいましい顔など見ずにな。
「人の髪の前に、お前の髪はどーなんだよ。一見ふつうに纏めてる風を装っちゃいるが、よく見るとナイフやドーナツがぺたぺたとくっついているようなアホなスタイルをしてるじゃないか。パリコレでも目指すんなら別だが、その髪形は校則違反じゃねーのか」
「違反を指摘されたことはないな。余の美的センスが評価されているということであろう。それにここは学校。成績優秀・素行優良な者は、特権階級になれるものだ。そして、フフ、特権階級というものもあるがな」
 やっこさんも独り言を返す。じつに嫌味ったらしい委員長殿下だ。
 こいつの親父は省庁勤めのお役人であり、K町の出先機関で働いているらしいのだが、その小娘の女王様気取りは少々目に余るものがある。
 官僚だろうと女王様だろうと、まわりが持ち上げなければもっと大人しくしていると思うんだけどな。
 俺のクラスのやつらどものバカバカしいことといったら、この成績優秀な委員長を城下におりてきた黄門様よろしく下にもおかず崇敬するときたものだ。まあ、医者やら弁護士やら官僚やらという「偉そうな空気」に対して反射的に頭を垂れるのは、うちのクラスに限った問題ではなく、たぶんK町民の遺伝的な習性なんだと思うんだが。まったく、偉そうな肩書きさえ見せられれば、犯罪者や赤ん坊や犬猫さえも神様扱いしかねない。
 だが、俺は、神様なんか信じねえ。
 そんなものが信じられるのは、よほど幼稚な奴か、おめでたい奴か、酔っぱらってでもいる奴に決まっている。あとは、この桐生みたいな奴だ。おだてられて、持ち上げられて、世界が自分のためにあるんだと思っていやがる。そりゃあ楽しいだろうよ。クラスの配下どもには頭を下げそうにない女王様だが、自分の運命っていう神様には喜んで敬礼するだろう。
 それからも委員長殿下は一人くだくだしく、嫌味な説話を呟きまくっていた。さっき俺が珍しく反応したので、溜め込んでいたお小言が噴出したようだ。まあ俺は無視していたがな。東大に行ける頭脳の持ち主と口論して勝てる自信もない。殴るのは簡単ではあるが、こんな女を殴ってもつまらん。


 ふっ。


 桐生が吹き出した。
 なに? 
 ちょっと待て。今の笑いは何だ? この俺様の無視が、クラスの臣下どもも滅多に笑わせられない委員長殿下を笑わせたっていうのか?
「あっはは……!」
 無視を決め込んでいた俺だが、思わず桐生の顔を見たよ。だって、やっこさんときたら、酸欠で水面を向いて口をパクパクやる錦鯉みたいな具合で、異常に声高らかに笑っているんだからな。
 日焼けすらしたことなさそうな肌が紅潮し、腹を抱えていやがった。そんなにおかしいのか。俺を笑っているのは間違いないんだろうが、委員長のフルタイム能面を二十秒もくしゃくしゃに曲げてやったのだと思うと、なぜか悪い気はしないもんだな。
 委員長は俺の肩を支えにして何とか体を起こし、目尻の涙を拭った。
 そのときの表情は、まるで、ナルシストなモデルが鏡に映る自分に感涙しているような、俺の通常の理解を絶したものだったよ。
 しかしながら救いだったのは、やっこさんの顔はモデルを目指してもいいくらいのレベルのもんだったから、俺はキモいともグロいとも思わなかったってことだ。そこらへん、俺は嫌いな奴だって、認めるところは認める。盲目的に持ち上げるのも、盲目的にけなしまくるのも、どっちも気色悪い。正しくないものは正しくないが、正しいものは正しい。正々堂々、公明正大だ。そこの筋は通したいと思ってる。むかし空手をやってた影響なんだろうな。
 ちなみに、委員長の顔は認めるにしても、残念ながら胸はダメだな。モデルを目指すには絶対的に足らない。
 そして、愛嬌もな。
「ああ、おかしかった! やっと理解した。なぜ貴様を見ると余は笑いを禁じ得ないのか、それが今わかった」
 と桐生は言い、むかし対戦した空手選手のように真顔になるのだった。
「成績は悪い。生活態度は悪い。地元のK大にさえ行く由もない。それなのにどうして、しがみついている? うちのクラスに存在している? 辞めたらいいさ。出て行けばいいじゃないか。いつまでピエロを続ける? 不愉快だな!」
 それを聞いた時、俺は空手を解禁していた。
 委員長の顔を横から一発殴っていた。
 委員長は椅子から転がり落ち、俺は奴の体を引っ張り上げた。
 今の一発じゃ、まだ三割だ。残り七割の怒りは、さらに実力行使しなきゃ消えそうになかった。
 俺は駆けつけて来た大熊と担任に押さえ付けられた。そのとき一瞬だけ、「ざまぁみろ桐生」と感じたんだが、「負けた」という恥ずかしさが急に込み上げ、すぐに俺を押し潰してしまった。
 どうして桐生寧を殴ったのか、俺には分からなかった。







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