Ψ 俺たちが暖簾の外に出てみたら、長椅子やマッサージチェアは、先に上がったやつらに完全占拠されちまっていた。大画面テレビから、誰も見てない野球中継が流れている。 俺は売店でコーヒー牛乳を買った。フェイクにはやさい牛乳とやらを買ってやったが、それは俺だけ飲むのは具合が悪いからに過ぎない。そのやさい牛乳とかいう変な飲料、あとで一口分けてくれるか。どういう味がするんだ? 「味はしない」 嘘つけ。そんな毒々しい緑色してんだぞ。俺はフェイクから瓶を借りて一口飲んだ。オエーッ! こ、こんなスゴイ味がついてるじゃねえか。こいつ、俺を騙したな。 「不便ね。人間って。単なる栄養物を摂取するのに苦しまなきゃいけないなんて」 フェイクはクスクス笑いながら瓶を引き取った。 「騙したわけじゃないわ。H.L.H.は味覚機能が無いんだもの。フランス料理のフルコースだろうと、期限切れのコンビニ弁当だろうと、感じることは同じ。味がしない、って」 「なに」 やつは瓶に口をつけて天井を向き、漏斗に試薬を流し込むみたいにスムーズに飲み干した。 「H.L.H.はもともと労働作業用ロボットとして開発されてるから。筋力や敏捷性は人間を上回っている。内蔵の人工骨格の支えがあればこその性能よ。一方、労働に必要ない機能は抑制されているの。ロボットが人間並みにおいしいものを味わえるのはおかしいってさ。製造過程でココを一部焼いておおくらしいわ」 フェイクは頭部に人差し指を当てた。 なるほど。ゆうべのメシがとんでもない味だった理由が分かったよ。 「おいこら! この、馬鹿ドミニカン! なんでそこで打たねえんだよおお!」 大声がして、俺はそっちを見た。野球中継を見てる奴が一人居たか。 桐生一男が、カップ酒片手に大画面に見入っていた。 相変わらず、すごい汗だな。上着が塩を吹いてるぞ。 「なんだ、上がったのか。もっと入ってていいのになー」 やつは俺達に気が付くと、一気にカップ酒を空にする。あんまり急いで飲むもんで、酒がネクタイにボタボタ。 「まゆみくん、きみを銭湯に連れて来た理由が分かるかね?」 「分かるか、そんなもん」 どんな事情があるにせよ、呂律の回っていないあんたの口で説明できるのか? それから、「まゆみくん」って何だよ。なれなれしいヨッパライ野郎だな。 「ソレジャア! 君に説明しておこう☆ これは大事な話だからねェ〜」 いちいちセリフが芝居がかる癖は、どうにかならんのか。 それとも、お前は言うこと全部が芝居・声色・借り物でできていて、それが素だというわけなのか。 「フェイクくん。きみは先に戻っていなさい。私はまゆみくんに用事があるから。今なら送迎のマイクロバスが止まってるから。体の不自由なお年寄りに紛れて送ってもらいなさい。ほら、早く!」 桐生一男は入り口を指差した。たしかにマイクロバスが横付けしてあり、一見して中高年と分かる地味で太目な客たちが座席にスタンバイを済ませていた。客がゴソッと上がって行ったのは、バスに遅れないためか。今時の銭湯は、生き残りのために送迎サービスまで提供するんだな。 「分かった。じゃ、先に戻るね。晩御飯つくっておくわ。まゆみさん、食べたいものないかしら?」 「そうだな、サラダ頼む。サラダが食いたい」 「オッケェイ。では、鋭意支度して参ります☆」 湯上がりで髪をアップにまとめたフェイクは、軍隊ごっこでもしているみたいに手をピシリとかざし、小首を傾けるように頷いた。やつは回れ右をするや、浴衣の裾がラッパみたいに広がる大股歩きで外に出て行くのだった。 本当はいかなるメシも作って欲しくないんだが、まあどうせババアの台所だ、大爆発さえしなければどうなったって構わん。しかし、ババアは昨日から何処に行っちまったのかな。 このまま帰らないといいよな。 「ここに停めないで! 邪魔になるでしょーが!」 外から、怒鳴り声が……。 腰の曲がったじいさんが、マイクロバスを怒鳴りつけていた。 バスはエンジンをふかし、ゆっくり移動して行った。 「ったく。ウチの前は駐車禁止だってのによぅ」 オッサンは曲がり気味の腰をさすりながら俺達の横を過ぎ、「事務室」のプレートが貼られた部屋に消えた。 「なんだあれは。自分のところのバスに怒りやがって」 「あれは、銭湯のバスじゃない」 と言いながら、桐生一男は野球中継に見入っている。今度はひいきのチームが守備側らしい。 「甘い!」と悲痛に叫んだ次の瞬間、ピッチャーの第一球は左翼席へと放り込まれた。 桐生一男は愛想をつかし、テレビに背を向けた。 「人工政府の研究施設(ラボラトリー)のバスだよ。客のふりをして風呂に入っていたのは、全員ラボの関係者。私が奴らに一芝居うってもらったのだよ」 若手社員を呼び付けてクビを申し渡す社長のように恍惚とした顔して、何を言うかと思ったら。いくら中年オヤジとは言え、ギャグセンスが無いのも大概にしてもらいたいよ。お前が言う「公共の福祉」とやらに一番反してるのはお前自身じゃねえのか。泥酔者というのは本当に迷惑だ。 「こんな地方にまで劇団を派遣させるんじゃ、国の財政が逼迫したのも無理のないことだな」 俺は、酔っ払いに構っちまった自分に疲労を覚えつつ、牛乳瓶をリサイクルボックスに持って行く。 「馬鹿だな、お前」 と言ったのは、俺ではない。 桐生一男だった。 「ガキの遊びじゃねえんだよ。国が何の目的もなくお芝居を打つかっつうの。フェイクを自然な流れで回収するために決まってるだろう。きみらを銭湯まで呼んだのは、フェイクを回収する舞台が整ってるからなんだよ」 「なんだと。回収?」 確かに、辻褄だけは合うな。銭湯のおっさんがバスに怒鳴っていたのも納得ではある。 俺は、心から安堵したという様子で息をついてみせる。 「勝手に押し付けられたロボットが、勝手に回収されたか。このまま二度と連れて来ないで欲しいもんだ。迷惑この上なかった」 「いや〜。あれはもうダメだよな! 私としても本人の意気込みに期待してはいたんだけど、意気込みだけだった。というかー、いきなり他人の手首をちぎってくるような意気込みは要らないんだよ。やっぱり限界だったなあ。H.L.H.旧型モデルの存在的欠陥が浮き彫りになった。監督者の私から見るに、あれは君の身代わりには不適格だ。これ以上使うわけにはいかない。処分してもらおうと思う」 俺は風呂でフェイクが喋っていたフレーズを思い出していた。 ――あたしは、テストされてるの。 ――採点人は、桐生一男氏。 「その、回収した後の処分ってのは、どういうふうにやるんだ?」 やんわりと笑いながら、俺は尋ねた。 笑う余裕がまだ残っていたのか、それとも、ひととおり足掻いても無駄そうな状況では自然に笑う癖でもついていたのかもな。 「そりゃ君、処分は処分だよ☆ オシャカってWAKEDA。ロボットとしてはクズなわけだから、腑分けされて凍結されて医療用部品かな。あれがこの地上で目を覚ますことは二度と無いだろう」 「あれが居なくなったら、あんたらが困るんじゃねーのか。俺のそっくりさんが居なくなってもいいのか?」 「知らん。だがね、私はあのロボットが使えないようなら遠慮なく不合格にしろと命じられている。だから心配いらないよ」 桐生一男は力士みたいにのっそり立ち上がる。鼻の頭から汗が滴った。 誰がてめえを心配すんだよ! 「俺の、これからの予定は……」 「上から連絡があり次第、伝える。それまで好きにしていたらいい。じゃ、そゆことで」 桐生一男は汗まみれのロン毛をヌチャリとかき上げ、どこかへ去って行った。 やつと入れ違いに、委員長が暖簾から出て来た。 俺は、呟いていた。 委員長に聞かれていたが、気にしなかった。だって、こいつは俺がどんなことを言おうと一言のもとに切り捨て、その上から第二第三の口撃を見舞って来るに決まっているんだからな。こいつ一流の、女の腐ったようなイヤミ尽くしには慣れっこになっている。 俺は、電源が入らないマッサージチェアに身など沈め、非常に気楽に呟くことができたよ。 「……納得いかねえぜ。畜生」 「ほう。貴様がシリアスげな顔とは。笑わせる」 「うるせぇ。お前のためにシリアスな顔してるんじゃねえ。何様だ」 「貴様からすれば、そうだな、最低でも神」 即答した桐生は別のチェアに座り、神様のくせにマッサージなど受けている。あっちの椅子は動くのかよ。 俺はチッと舌打ちをして立ち上がり、足早に銭湯出口へ向かった。 言っておくが、フェイクを助けたいなんて思ってるわけじゃねえぞ。 あれは実に迷惑なロボットだ。料理すれば爆発を起こすし、学校行けば手首を狩ってくるしな。そんな奴を、会ってから一日で好きになれるわけがねえだろう。 だけど俺は、たった一つ、衝撃を受けたのさ。あいつが簡単に処分される一方で、桐生一男みたいな奴が処分される気配も無いってことにな。 あのメタボ腹をミンチにでもすれば、日本の食料自給率アップに寄与してくれるだろうよ。 フェイクが処分される国よりも、俺は、桐生一男が処分される国の方がずっと望ましいと思うんだ。 人工政府≠ニやらがどんなシロモノか知らないが、何を造ったって無駄だと思うぜ。 この俺一人の生活にさえ、暮らしやすさを感じさせてくれない国ができるとしたらな。 そんな国を作った挙句、人工政府≠ニやらが機械声で、「コレデ最良ノ国ガデキマシタ」などと結論しやがったら、俺は人工政府≠フ自己満足を断罪してやらあ。 そうなんだ。この国は暮らしにくいんだよ。 俺はこの小さい町しか知らないから、このK町が知る限りの国というわけだが、そこでの暮らしにくさといったら、なすべし協会≠ネる架空の悪の組織を槍玉に挙げでもしなければ納得しかねるものなのだ。いや、それでも俺は納得してはいなくて、授業中に鉛筆すら用意しなかったり、髪を周りの奴らがマネできないような色に変えてみたり、ヒキガエル教師や桐生寧や大熊信吾を殴り倒したのだと思う。桐生一男一派に至っては、人工政府≠フ研究に協力させるためと称し、有無を言わせず何処かへ連れて行こうとしてくれる始末。 どいつもこいつも、どうして俺を不愉快にさせることに関してはこんなに熟達していやがるんだ。おかげさまで最近の俺は一秒だってムシャクシャしてない時は無かったよ。 フェイクが、俺のところに来るまではな。 あいつが連れて行かれ、代わりに糞委員長なんかが隣に存在している今現在、俺の心にはひどいムシャクシャ感が戻って来ていた。 つまり、さっきまで俺は忘れていたらしいんだよ。ズブ濡れになった十二単みたいに俺に巻きついて、離れることのなかった、馴染み深いムシャクシャ感を。 フェイクの世話をするのに気を取られていたせいかな。 あのロボットは、やることなすこと見事にブッ飛んでいたよ。ブッ飛びすぎていて、不愉快とかムシャクシャとは違う次元まで行っちまっていた。 そのおかげで、ひさしぶりに思い出したよ。この世界には「不愉快じゃないこと」も存在しているんだっていう感覚を。 そして今、ムシャクシャまみれで気が変になりそうな俺が考えることは、不愉快な生活よりも不愉快じゃない生活を送った方がよろしそうだということさ。 不愉快じゃない生活を正々堂々と追求する行為は、空手で負けるより勝った方が気持ちいいっていうのと同じぐらい、自然なことに思える。 そのためには、まず、不愉快じゃねえ感覚をもたらしてくれるものが、近くに居なければな。 俺一人じゃ、探せるかどうか……。大熊に頼むか? いや、無理だ。「俺を探してください」なんて言えるわけないだろ。クソ政府の機密(笑)に噛んだら、大熊の身が危険になりかねん。俺は歩き出したものの、出口で止まるしかなかった。よりによって、事情をすんなり飲み込んでくれそうな奴が、一人しか居ねえとはな。 ぐにゅんぐにゅんと動くマッサージチェアに埋め込まれている桐生は、こんな時までラノベ読書に余念がない。うっぜえ! 「おい。おまえに至急手伝ってもらいたいことがあるんだが」 「なんだ下郎。申せ」 「俺にソックリのあいつが拉致された。手分けして探したい」 桐生はラノベを顔から外した。 椅子の角度により、座りながらに俺を見下しているような尊顔だ。 時速100キロで遊泳しているマグロみたいな、生き生きした黒い瞳で、やつは呟いた。 「いいぞ」 |