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                    Ψ
 
 さて、それから二日経った日の夕方。
 俺は、サッカー部のやつらのボールさえ一時間に一ぺんしか飛んで来ないような校庭の隅っこで、ボンヤリしていた。まれにボールが転がって来ても、蹴り返してやらなかったけどな。
 楽しそうに運動部員たちが駆け回っている校庭や、遠くからだと意外と小綺麗に見える校舎を展望しながら、俺は悩み深き文学少女のようにたそがれていたわけではない。
 もちろん、清純気取りな少女のように青臭いマジメさをもって早目にデートの待ち合わせ場所へ来ているわけでもない。
 マダガスカル産のトマトガエルみたいな体型の中年男が、忍者よろしく背後から忍び寄って来た状況は、デートというよりテロ行為に近い。
「ここに居たのかよー。脱走でも企てるつもりかい?」
 俺は桐生一男をチラリと確認し、口から入道雲みたいに盛大に煙を吐き出し、タバコの吸い殻を投げ捨てた。今の時代、タバコは嗜好品じゃなく高級品だが、バレたら学校から処分されるのは変わらん。俺も家でたまにやるぐらいだけどな。
 ま、校庭の隅で吸ってても、誰にも分からんだろ。
「焦ったか? お目付け役人。暇なんでな、ふらりと散歩に来ただけだよ」
協会≠ノ行く当日にターゲットが脱走ということになったら、上から監督責任を問われて処分されるのはコイツだろう。が、こんな奴をいじめたってしょうがない。
 第一、脱走したとしても、どうせ俺は捕まるだろうし。
 プエルトリコあたりに瞬間移動でもできるんなら別だが、普通に逃げたらK町を出ないうちに身柄を押さえられそうだからな。
 どうやら、無能な桐生一男のバックに控える奴らは相当有能だ。フェイクを銭湯から連れ去った手際や、フェイクが見事に人格改造されて戻って来たのを見たら、よく分かった。どうせなら、バックの奴らも無能なら良かったのにな。
「駅前に迎えが来るまで、あと一時間だね。やり残したことは無いかな?」
「なんだよ、その不吉な発言は。研究とやらが済んだら、俺は戻って来れるんだろ? あんたが言ってたじゃねえか」
「バカで生意気な小娘を脅かしてやったんだよ。実際、不測の事故だってあるかもしれない。研究所が大爆発するとかね」
 大爆発なら、いっそ安心できら。
 無事に帰すと言っておいて帰さないというイヤらしい結末を、俺は大いに考えているけどな。やると言ってやらない一貫性こそ、役人の誇るべき点だと思う。
「おっ、あれ見てごらん。ひょっとすると……」
 桐生一男は、背後で大げさに指さしてでもいることだろう。
 だが俺は、とっくにさっきから、後者のたもとを歩く三人を眺めていた。
 ひょっとしなくても、あのツインテールの金髪を見間違えるもんか。どんな顔して歩いてるのかは、遠くて分からねえけど。
 となりに居るデカイのは……。たぶん、大熊だろうな。
 三歩ほど距離をあけて、無駄を排除した機械みたいに水平移動しているのは桐生女王か。
 なるほど。
 さっきの吸い殻が、地面にて糸のような煙を漂わせていた。火事防止のために、俺は軽く踏み消した。
「うらやましいねえ。君、じつに名誉なことですよ。人工政府<vロジェクトの被験者になれるということは」
「そうか」
 俺は、振り返りもせず、適当に返事しておいた。風が吹けば向こうの枝もこっちの枝も揺れるのと同じようなもんで、特に意味は無い返事だ。
「研究所は、君にお土産をあげる準備ができているらしい。どうやらね、人工政府≠フ本体に君を接続して、データを採取するみたいなんだけど、その過程では人工政府≠ゥらのリフレクトが起こるらしい。要は、君の脳のデータを人工政府≠ノ転写する時に、人工政府≠ゥら君の側にデータが流れるそうなんだ。もちろん、データ量は微々たるものだけどね。しかし君、まがりなりにも、近未来の日本国を統治するコンピュータから、データの一部が入ってくるわけだからね。思わぬお土産にならないと言い切れるだろうか? 帰って来た時には、君は超人になっているかもしれないね」
「そうか」
 超人、ね。
 つまり、普通の人間を超えてしまい、普通の人間とは何の接点も無くなってしまう生命体のことかい?
 そんなもんになって、どーすんだよ。
 心底どうでもいい話だと思った。
「おい、目付役人。そろそろ、駅前行くか」
「まだ早いんじゃないのかい?」
 いいんだよ。
 ここに居ようと、駅前に行こうと、同じなんだから。
 やることは何も無いのさ。
 
 
 仮にも政府の秘密実験というわけなので、俺は手足を縛られ目隠しをされ護送車にて運ばれるものと思っていたが、ロータリーに止まったのは白いライトバンだった。考えてみりゃ、田舎の駅前に護送車が来ても、目立つだけだよな。
 桐生一男は、俺を薄暗い車内に押し込み、自分も乗り込んだ。
 車は走り出した。
 俺達のスペースは運転席から仕切られていた。窓にも黒いシートが貼られ、景色は一切見えなかった。ただの密室が揺れているだけという感じだ。閉所恐怖症の人間なら耐えられないだろう。
 桐生一男は、何度となく携帯で喋っていた。研究所とでも連絡を取り合っているんだろう。
「そうですね。では私は、被験者を送り届けたら直帰いたしますので。はい。ではまた。お疲れさまです」
 ほう。こいつ、いつものイカレた口調じゃなく、マジメな喋り方もできるのか。ちょいと驚いた。
 ま、こいつの属している組織全体がイカレていた場合、その中でマジメにコミュニケーションをしたところで、どうしようもなさそうだが。
「フウ……」
 桐生一男は相変わらず牛や豚みたいな呼吸音を体内から響かせ、老眼のピントが合う遠距離に携帯電話をかざし、長いこと眺めていた。
 そして乱暴に携帯電話を掴むと、どうやら二つに折ろうと試みているようだった。
 だが、アイスバーでもあるまいし、折れるはずもなかった。
 そうか。フェイクの怪力を見ていて、お前も試したくなったんだな。
「クッフッフッフッフッ」
 おや、急に笑い出しやがった。
 気持ち悪いな。豚みたいな体の中から、鳥みたいなカン高い声を出しやがって。
「いやいやいやいや〜。飽いたねェ。やめた、やめた。どうも具合がおかしいからなあ。子どものころから、光の射している場所を目指して歩いてきたはずだったんだが。こりゃあどうやら、来る場所を間違っているねェ。やれやれ。人間たちのエリートにはなったが、自分に対してはエリートではなかったみたいだ。私はそろそろ店じまいだな。何も売っていない店の看板を外さなけりゃあ……」
 やつはダミ声に加えて早口で呟くから、ほとんど何言ってるか聞き取れなかった。もともと、この豚官僚の芝居には、一人よがりなところがあるからな。
 きもいなぁ。
「フッフッフッフッ。おかしなことだけが大マジメに流通する組織だ。おかしいフリをしなけりゃあ、官僚機構では生き抜くことができんさ。だが、しぶとく生き抜いたとして、それだけの話だからな。どうせ物事の真実は上層部しか知っていないんだ。いや、上層部だって知っているのかね。部署を次々にたらい回しにされて、真実は結局どこにも見付からないのかも……。いったい我が国は何をやろうとしてるんだろうな。さっぱり分からないよ。なあきみ、私の代わりに調べて来てくれないか。頼んだよ」
 なっ。
 なにを抜かしてるんだ。このオッサンは。
 自分が国家公務員だろうよ。親方のやることぐらい分かってろよ。
 それに、人工政府′、究のことなら、目的はハッキリしてらあ。人間の政府に代わる政府を作ることなんだろ。俺の部屋まで来て、自分で説明したじゃないか。
 ……などと思ったが、俺は表面上は無視を通していた。
 なぜなら、桐生一男の様子を見るに、奴は景色が見えもしない窓の外を見て、完全に独白モードで喋っていたからだ。狂ったオッサンの言うことなど、俺は知らん。
 それより、ようやく車の揺れがなくなった。瓶詰め手紙が漂流するような不安な旅は、どうやら終了のようだ。
 降ろされた場所は、山の中の老人ホームだった。
 
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 まだK町を出てない気がするほどの田舎だな。
 どこにでもありそうな緑の山、その緑色を背景に、こういう寂しい場所にはよくありそうな、やけにきれいなクリーム色の老人ホーム。姥捨て山には最高の構図といえる。
 桐生に腕を引かれ、クリーム色のちょっとした城みたいな建物の中へ入る。
 入り口の自動ドアは自動では開かず、桐生が一枚ずつ開けては閉めた。
 そういや、ドアの横に看板があったけど、「高齢人間生活施設 IKINOBI 」という名前からして、やはり老人ホームのようだ。イキイキ、ノビノビってことか? 誰だよ、こんな笑えないネーミングにしたのは。
 ……じゃなくて、どうして俺は老人ホームに連れて来られたわけなんだい?
「やつらが堂々と国家機密研究施設≠ネんて表示すると思うかい? この二〇××年というご時世、山奥といえば老人ホームだろう。廃スキー場のホテルを利用したリゾート老人ホーム≠キらあるぐらいだ。実は、この研究所の立地というのも、開発中の人工政府≠ノよって算出されたものでね。人が来ないほどの山の深さと、人が来ても怪しまない程度の里の近さを、日本国で最も両立しているポイントなのさ。……以上は、私が上から渡された書類に記載されていた説明事項だよ。きみ」
 廃墟じみた薄暗い空間に、桐生の声が驚くほど反響した。
 まるで地下壕みたいな施設だな。
 広い空間だが、見る限りドアは一つしか無く、窓は一枚も無い。
 あとは全部、壁だ。
 俺が年寄りになったら、こんな所には運ばれたくないな。
 
 
「おい」


 声は、後ろからした。
 昔のオタクみたいに毒々しいネルシャツをまとい、ゆるめのジーパンを履いた、白髪老人が立っていた。
 ごてごてとした革靴の音を響かせ、やつは近寄って来た。
 でけえな。
 桐生一男より大きいのか。大熊とどっちが上かな。
「お前が新しいレシピナー≠ゥ?」
 声まで若々しいな。
 おかしな言い方だが、顔がシワだらけで頭頂までハゲ上がっているのを除けば、こいつは単なる若者に見える。
「K町から連れて来ました。小野まゆみと言います」
 白髪老人は、俺を紹介した桐生の頭から、タバコの煙を吐き掛けた。
「開発第一主任の高橋です」
 普通の名前なのが、何か笑えるな。
「じゃ、さっそく実験に入るとしよう。この子はお預かりしますよ。付き添いご苦労でした」
 老人は桐生と握手を交わした。
「ここではどんな研究が行われているのか、興味がありますなあ。私も見せて頂いていいでしょうか?」
「申し訳ないが、研究者と被験者以外の立ち入りは……」
「研究者と被験者、あとは、内閣府の一握りの連中、ですかな?」
「ビルの中の派閥争いや出世競争に関心のない、現場の研究者として言いますがね。あなたを案内することはできかねるし、見ようとしない方があなたのためです。これは当施設の決まりですから。分かったらお引取り願います」
 高橋は蚊でも追い払うように言った。
「分かりました……」
 と言って桐生は引き返した。パンパンに膨れた生ゴミの袋みたいな姿が、じらじらとした入口の光に寂しげに照らされていた。
 

「言っておくが、ぼくは実直な人間だ」
 動いているのか分からない静謐なエレベーターの中で、老科学者は言った。自分で実直と言う人間を信用できるかは怪しい。
 にしても「ぼく」って、若い気持ちなのにも程があるだろ。そのハゲ気味の白髪頭で言うのかよ。
 ただ、白髪頭から漂ってくる佃煮みたいな臭いからすると、何ヶ月も髪を洗わない実直さはありそうだな。
「君に行う実験の内容は全部説明するし、君の体にどういう作用を与えるかも説明する。総じて心配の要らない実験だから安心していい。たとえば、今しているような会話にしても、雇い主からは禁止されているのが実情だが、ぼくの自己判断で禁を破ることはあるということだ。ぼくは窮屈な環境が嫌いでね」
「雇い主に対しては実直じゃねえのか?」
「実直な、へそまがりなんだ」
 エレベーターのドアが開いた。
 あいかわらず窓は一枚も無く、地上なのか地下なのか分からないフロアに来た。なんかの工場のように、ボンヤリとした音がフロア全体を包んでいる。
 実験の前に、身体検査だそうだ。
 白衣を羽織った高橋に付き添われ、身長体重を測り、血液検査をされ、心電図を取られる。見たところ、病院並みの設備が整っているようだが……。この施設には、高橋のじいさんしか人は居ねえのか? 
 CTに頭を突っ込んだ時、この世の終わりかと思うくらいけたたましいアラームが鳴り響き、機械が完全停止したのはビビったね。フロアの電気まで全部消えちまうし、「ちっ」と舌打ちを残し、高橋は俺を放り出して何処かへ行っちまうし。
 アラームが止まると、今度は押し入れの中にでも居るみたいに物音一つしねえ。
 ここが俺の部屋なら、手探りで明かりのある方を目指して行くんだろうが、まるっきり勝手を知らない場所で歩いたって、積極的に迷っているのと同じだ。
 俺はCTの土管の中でジッとしていた。と思う。目を開けたって暗闇しか無いんで、CTの土管すら見えなかったんだが。
 ……ん。かすかに音が聞こえるぞ。上の方か? 
 この音が隠しスピーカーから流れているBGMじゃないんなら、ちょっとビックリだな。
 俺は、施設の入り口をくぐってから、このフロアに来るまで、高橋以外の人間には一人も会ってないわけだが、
 どうして高校の一学年が朝礼に移動しているような雑音が聞こえるんだ?
 いや……。朝礼というより、もっとキビキビとして、運動部のランニングみたいだな。
 人の声も聞こえてくる。やたらと何か叫んでいるな。
 だけど、いかんせん遠い。最小ボリュームのラジオみたいにしか聞こえない。
 お次は、聞いたこともない音がした。
 この音は……。
 いや、悪い、嘘をついた。本当のところ、俺は、この音を聞いたことがある。ただし、テレビやPCの向こうでだけな。
 遠い工作機械の音のように、止まっては鳴り続ける、
 銃声。
 
 
 明かりが復旧した。待機中の機械のような静かな音が、元通りフロアに充満した。
「中断させてすまんな。警報が鳴ったんで、機密保持のためにシステムを止めていた。何者かが施設に侵入したそうだ」
「真っ暗になった時は、手荒な歓迎をするもんだと思ったぜ」
「侵入者の件については、問題なく終わったと警備員が言っていた」
「終わったって、まさか、お気軽に殺したりはしねえだろうな」
「施設の管理は警備の連中に丸投げだから、ぼくは知らん」
「だけどよ、今のはとんだお笑いだな。簡単に侵入者がやって来る施設じゃあ、人工政府≠ニやらもカタなしだ。施設の場所は人工政府≠ェ選んだって話だもんな」
「人工政府≠フ完成度は、まだまだ低いからね。だから、君のようなレシピナーを募り、データの集積を高めようとしている。ぼくたちの役割は、完成度を百パーセントに近づけていくことだね」
「何だよ、レシピナーって」
「ぼくの造語だ。現在の技術だと、被験者と人工政府≠接続すると、双方向の情報移動が現れる。君たちは、人工政府≠ノ脳内構成情報を与える提供体(レシピエント)であると同時に、人工政府≠ゥら超越的情報断片を受け取る移植体(ドナー)でもある。レシピエントとドナーを合わせてレシピナーというわけだ。その実は、君たちから人工政府≠ヨ情報を流すと、必ず人工政府≠ゥらの逆流が起こってしまうという、技術的欠陥に由来しているんだがね。しかし、向こうから流れてくる情報量は微々たるものだ。ぼくの見立てでは、君たちにどんな好影響も悪影響も与えることはない。心配は要らないよ」
「人工政府≠ゥら情報が流れてくると、俺は超人になれるって言ってたぞ。桐生一男の話では」
「無知な事務方の言いそうな、空論だ。個人が人工政府≠ニ同期できるわけなかろう。両者は、情報処理をする中枢のスケールが異なる。スーパーコンピュータの一部分を人間の脳味噌に浮かべたからといって、スーパーコンピュータ並の処理能力を手に入れられるとでもいうのか? 常識で考えたら分かる」
 桐生一男はホラを吹いてたってわけだな。うすうす勘付いてはいたよ。超人なんかになりたいとも思っちゃいなかったが。
 結局、俺は桐生一男やその上役たちの計画通りに、この研究施設にまんまと運ばれて来たわけだ。あとはやつらの計画を仕上るべく、人工政府≠フ開発のためにデータを差し上げることになるんだろう。いったい、俺は生きてK町の土を踏むことはあるんだろうか。「ある」と言われても、「ない」と言われても、信用できる気がしない。
 そして俺は、さほどK町に帰りたいとも思っていなかった。
 今の俺は、そうだな、少し眠りたいな。
 だいぶ疲れたんでね。
「君がレシピナーとしての役目を果たすのは、身体検査の結果が出てからになるだろう。個室が用意してある。今日は休みなさい」
 お、いいね。そいつは間違いなく、本日一番のありがたい言葉さ。






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