「もう分かってくれるね。イベント記述の能力とは、つまり、存在の存否の能力≠ネんだ。なぜならイベントとは存在≠フ複合体だからだ。K町の中に存在≠オていれば、あらゆるものに能力は波及する。存在≠オてさえいるなら、どんなものも認証≠ナきるし、または消去≠ナきる。ためしにそなたの手足の力や記憶を一時的に消去≠オてみせた。しかし、それでもそなたにとっては若干ぬるかったね。もっとわかりやすい実例を見せよう」 マコトさんはキーボードを叩いた。のびていた髪も一部巻き上げ、木の枝のように硬質化させ、キーボードを押すのに使った。ガシャガシャガシャガシャガシャ。データを打ち込んでゆく。風船はカラフルに明滅した。風船の中の文字や数字がスロットマシーンの筐体のように渦巻いた。カラフルな光がマコトさんの髪を通り、地面に潜っていった。 やがて状況が落ち着いた時、何も変わっていないように見えた。 あまりにさりげなく、まわりの全部が変わっていたから。 見える範囲は全部、更地になっていた。 模型が片付けられるように簡単に、町が消えていた。見えるものは更地と山だけである。 山の稜線にいびつなシルエットを加えていた給水塔も無い。 皆野家だけがぽつんと建っていた。 そう。 藤ヶ丘ニュータウンの存在≠ェ、消去されていた。 「これくらいの作業なら難しくない。ニュータウン一つ消すよりか、人間の記憶を選択的に消す方が難儀するくらいだ。ニュータウンも記憶も一つの存在≠ナあることは同じだから。記憶をチョビリチョビリと消すより、そなたの存在ごとバシリと消してしまったほうが簡単だ。妹が命を狙われることも無くなるしね。いいことずくめだよ」 マコトさんは口を三日月に開いて微笑んだ。何百年も笑ったことがないように、目だけは笑っていない。もともとマチさんの顔というギャップもあり、並外れて妖艶だった。 さやきさんの体からは血の気が引いていた。幽霊みたいに青白くなった。 「ああ、何よこれ、信じらんない……。嘘じゃないなんて信じらんない」 射すくめられたように、さやきさんは膝をついた。ニュータウン跡の更地を見回すが、焦点が合っていない。投げやりな泣き笑いが浮かんだ。頭を押さえ、地面にへたばった。 牛氏はさやきさんを見下ろした。 「優秀な実行委員≠ネらば、否応なく異常(エーテル)≠視覚情報として認識します。異常≠嫌悪する者ほど、この景色は耐えがたいものになるでしょう。あって当然なニュータウン(もの)が無くなってしまう――。彼女の視界は異常≠フ赤で塗り潰されてしまったはずです」 牛氏はさやきの望遠鏡を蹴り倒した。 「この規模の異常≠ノ対処する術を、彼女は持たないでしょう。異常≠処分するには、異常≠フ発生範囲を望遠鏡(スコープ)で厳密に見定めなければいけません。しかしながら、視界を覆いつくすほどに異常≠フ規模が大きいとなると、計測には時間が掛かります。それじゃあ計測している間に攻撃されてしまいますよ。ねえ、お姉さん」 「うん」 マコトさんは不気味に穏やかだった。 底にいろいろ沈殿物を溜めながら、鏡のような水面を保っているダムのように。 あたしは、さやきさんの表情を転写する人形みたいに、忙しく百面相していたようだ。 はっと我に返った。 「ひ、ひどいじゃないか」 牛氏に詰め寄った。 「あんたが陰でさやきさんを憎んでいて、でも表では何も言えないからマチさんのお姉さんの力を借りてコッソリさやきさんを殺そうとするような最低な人だってのは分かっていたけど、本当に殺そうとするなんてひどいじゃないか」 「ええ。ひどいです」 「やめてあげなさいよ。さやきさん、苦しそうだわ」 「ですがわたくしはソイツが憎いんですよ。もう何年ソイツにいじめられてきたことか」 「いくら憎くても、これ以上はやっちゃいけないよ」 「これはひどい。あなたもソイツのような無茶なことを要求しますね」 「当たり前だわよ。さやきさんがどう思ってるかは知らないけどさ、あたしはさやきさんを友達だと思っているんだもの」 「ホウ」 牛氏はコミカルに首をかしげた。 あたしは泣いていた。次々と涙がこぼれていくのが分かった。少しも悲しくはなかった。むしろお天気雨みたいに清々しい気持ちだった。 「上杉さん。自分に正直になることです。何が友達です。給水塔の一件を思い出しなさい。あなたはソイツに殺されそうになっているんですよ。わたくしが居なければ、今頃」 「素直に、ね……。たしかにあたしは素直じゃなかったね。あたしは水道塔で嘘をついたんだもの。いや、嘘じゃないにしても、本心じゃなかったんだ。突き落とされても文句は言えないやね」 「何ですって? あなた、正気なんですか?」 「水道塔の時に比べたら正気さ。うん、なるほど。マチさんはあたしの友達だよ。そいつは間違いなかった。――じゃあ、さやきさんは? ふいに訊かれたら、戸惑っちゃったんだ。あたしは『そのこと』をキッチリ考えたことが無かった。でも、なぜか分からないけど、今ならちゃんと分かるんだ。自信を持って答えられる。さやきさんは、友達だよ。あたしの友達だったんだ」 あたしはやたらと堂々と宣言した。 「う、え、す、ぎ、、、、」 さやきさんはあたしを見た。何を思っているのかは分からなかった。尖ったガラスみたいだった彼女のキャラのイメージが、ビニールに置き換わってしまったみたいな情けない顔だった。あたしは申し訳なかったけど、それよりも嬉しかった。 「やれやれ。ソイツを生かしておいたら、ゲームが振り出しに戻るに過ぎませんよ。馬鹿の一つ覚え人間ですから。ソイツは再びあなたや皆野氏に危害を加えるでしょうよ」 「そうならないように頑張るさ。さやきさんがマチさんを狙おうとしたら、体を張ってでも止めるつもりだよ。あたしは、マチさんもさやきさんも両方引き受けたいんだ。勝手にそう決めたんだよ」 髪の毛の海に苦心しながら、あたしはマコトさんに近付く。 「あたしはさ、マチさんや、さやきさんや、お姉さんみたいな力は無いよ……。だから、お願いするだけだよ。さやきさんを許して。幻像人間なんかにしないで。卑怯な牛氏の陰謀の片棒を担いじゃいけないよ。お姉さん」 「……」 マコトさんはポカンと口を開けてあたしを見た。 「ん。皆野マチの他にも皆野マコトに意見する人間が居たのか。珍しいな。何となく楽しいことだ。興味が一つ増えた」 マコトさんはあたしの顔を真似るようにニーッと笑顔を浮かべた。やっぱりどこか不慣れだ。 「だけど、そなたが誤っているところが一箇所ある。牛久智久は卑怯な人間ではない。だからそなたの願いは成り立たない。前提がおかしいんだ」 「えっ? それって、どういう」 「そこは後で牛久智久から聞いたらいい。とにかく、的外れなお願いは聞けない。そして、皆野マコトはそなたのお願いを聞いてやる」 「え? え?? え???」 あたしは苦手な化学の教科書でも読まれているような気持ちだ。 「マチの身になってみた。的外れすぎて自分の頭に矢が射さるような願いでも、マチなら聞くだろうと考えた。そなたの願うことなら、マチは尊重する気がするんだ。で、姉としては、妹の立場を尊重する。異議を挟むことは不可能ではないが、挟まない。皆野マコトはそなたを妹の友人として認めた」 マコトさんはしゅるりと触手状の髪を伸ばした。 「?」 手のような形をした髪束が、ゆらゆら漂っている。 「最近の人間がよくやる儀礼だと聞いている」 あたしは髪束を手に取った。恐る恐る……。でも嬉しくて、上へ下へ何度も振った。 「お姉さん、ありがとう!」 「うん。妹をよろしくお願いしたい」 マコトさんは椅子に埋もれた体を起こした。 「皆野マコトがそなたらの前に現れている時は、皆野マチの意識が消失していることを意味している。つまり、危機的状況にあるということ。そなたら、以後は皆野マコトを顕現させないようにね」 マコトさんはキーボードを普通のOLみたいにゆっくりと打った。正面のモニタの表示が切り替わった。 〈天箒さやきは皆野マチを襲撃する。〉 〈皆野マチは死亡する。〉 その二つのイベントから、マコトさんはチェックを外した。 ダイアログボックスが出てきた。 [チェックを外すとイベントは認証≠ウれません。よろしいですか? YES NO ] 「では、上杉里美ほか一名の要望により、上記のイベントから認証≠剥奪する」 「ほか一名?」 あたしは辺りを見回す。 「この手続の実行により、天箒さやきが皆野マチを襲撃したイベントは、天箒さやきを除いて消去される。当該イベントは存在ごと消え、天箒さやき一人の白昼夢として残存するにとどまる。よろしいね」 「お願いします」 牛氏が言った。 「ああそれと、もう一つお願いがあります。わたくしも同じようにしてくれませんか。さやきさんだけが白昼夢を見ている状態になると、その白昼夢を説明できる者が居なくなってしまいます。われわれは実行委員≠フペアですからね」 「うん、そうだったね。了承した」 マコトさんはモニタ上の「天箒さやき」という単語を反転表示(ドラッグ)し、メニューから[環境を展開]を選択した。 すると、「天箒さやき」の下に単語のツリーが展開した。 「上杉里美」「牛久智久」「皆野マチ」という三つの名詞だ。 さやきさんがマチさんを襲撃した時、さやきさんの周りに居た者の名前である。 マコトさんは「牛久智久」の上でメニューを表示させ、[この名詞を主語として命題を表示]を選択した。 新しいウィンドウが出現し、つぎのような文が表示された。 〈牛久智久は天箒さやきが皆野マチを襲撃するイベントを眺めていた。〉 「当該イベントからも認証≠剥奪」 マコトさんは文頭のチェックを外した。 [チェックを外すとイベントは認証≠ウれません。よろしいですか? YES NO ] マコトさんは[YES]をクリックした。 [認証手続きを実行 YES NO ] 「実行」 マコトさんは粛々と[YES]をクリックし、ウィンドウを消した。 「これで予定通りの世界ができるはずだ。じゃあ、そなたら、さらばだ」 マコトさんはジッとあたしを見た。 意味ありげに、軽く頷いた。 「じゃあまたね。上杉里美。皆野マコトの友達」 マコトさんはマウスに最後のクリックを与えた。 |