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あとがき集
ネタバレあり
(随時更新中)




K町シリーズ 〔連作〕 (2008〜)


〈全体について〉

 短編の構想をやっていたら、似た空気を持つ学園モノのストーリーがいくつかできたので、それらを連作の形で展開させようと思い立った。それがK町シリーズである。
 広辞苑によると、「連作:同一のモチーフやテーマを追求して一連の作品をつくること」とある。まぁたかがお話づくり、明確なテーマなどあるはずもないのだが、この連作で追求できる独特な魅力は存在すると思う。とかいう常套的駄文でお茶を濁しておくか。正直なところ、気が付いたら連作でいくことが決まっていた。それだけである。(笑) 短編から長編まであり。
 舞台は地味に近未来の20××年。そういう設定が生きる時は来るのか? 視界は濃霧にして見切り発車中。



〈各作品について〉

【まほうつかいは友達】(短編)(2008.12)

K町シリーズの先頭に2008年12月まで展示されていた「春はお遊び」のあとがきにて、Nは「書き手ながらも良いものとは思いがたい」と不満を述べた。
 それからずっと、「まちのおはなし」の先頭を飾るお話を新しく作りたいと思っていたのだが、今回作ったので先頭に載せることにした。K町シリーズでは、原則書いた順にお話を展示しているのだが、このお話は上のような事情から、例外で先頭に展示されている。
 お話の出来には今のところ満足している。……という割には、魔法使いが記号的メイドキャラだったりするというB級くささを漂わせつつ、お話が展開するけれども。
 魔法使いアネッテは、性格的には至って普通の人間。ちょっとMっぽいところがある点を除けば。(笑) 性格までメルヘン的にホンワカさせてしまうと、問答無用にカヨノと共振してしまいそうであった。それではつまらないだろう。
 秋藤カヨノは、自分の非一般的な性格を自覚しつつ、その性格を世界に問い掛けようとするキャラ。ダサいほどの痛さを感じさせるキャラを描きたかった。痛い思想やキャラというのは、メルヘン的な空気と重なるものがある。偏っているというか、単色的であるというか、そういう尺度において。
 圧倒的な力によって世界を変革するという内容により、『デスノート』っぽい雰囲気もある。『デスノート』中のノートに当たるツールが本物の魔法であるという点が、書き手ながらに笑えた。だってこんなの反則じゃん。どうすんのよー? と思いながら書いていたが、普通にお話を終えることができたため、また笑ってしまった。
「一度限りの夢心地」という感覚を表現するのがメルヘンの流儀だろうと思ったので、今は続編は考えていない。続きそうな終わり方ではあるけれど。続けたら収拾のつかない展開になりそうだ。
 あー、そうか。一度限りのお話だと割り切っていたから、魔法なんていうウルトラツールを投入できたのかもしれない。



【春はお遊び】(短編)(2008.4)

 もともとは、単なる適当な短編の一つとして考えたお話である。
 この話を書いた時点では、K町シリーズの構想は浮上すらしていなかった。
 本文中で「K町」ではなく「とある田舎町」と書かれているのは、その名残である。
「パートナーの欲求を察知し、黙々と変化するキャラ」というネタを消化するために、このお話をつくった。お話としてのひねりに欠けるのはまだしも、まず着想からして面白みに欠け、書き手ながらも良いものとは思いがたい。一番のダメ要素は、七条寺かれんの存在感が最後まで薄いまま終わってしまったことだ。
 しかし、お話の雰囲気、とくに町の雰囲気はN的に気に入った。動的な静穏さとでもいうか、「空気は動かないのだが、時間は淡々と流れていく」ような感じ、……と言っても伝わるだろうか?? こういう感覚は「懐かしさ」に近いものかもしれない。今はまだ良く分からないが。
 ともかく、このお話の雰囲気に拾うものがあると感じたことから、この話の町を舞台に連作や長編をやってみようという流れになったわけだ。あとは、従来から考えていた新作長編の舞台の雰囲気とも混ぜ合わせる感じで。
 そういうわけで、このお話は、後付けでK町シリーズの嚆矢となった。



【まちのおはなし】(短編)(2008.6)

 まず、世に溢れる「無意味かつ不快な作法や手続」を供養するためのお話をつくろう、という意図があった。
 それとは全く関係なく、『涼宮ハルヒの憂鬱』の長門有希をパクったキャラを書きたいという意図があった。N的には、小説・憂鬱の長門には全く魅力を感じなかったのだが、アニメ・憂鬱の長門は不思議に魅力的だったので、その謎をうまく言語化したいと思っていたからだ。
 という上記二つの意図が偶然に合流し、この話ができた。
 もちろん、長門の丸パクリをしてもつまらないし、そういうことをやる意図も無かったので、皆野マチのキャラはしっかりとN色に染めてある。上杉里美はどこか鶴屋さんに似ている気がしないでもないが、こういうキャラは架空・現実を問わず多数いそうだからセーフと思う。ちなみに皆野マチは喋り方がもろなのでアウト。(笑) まあ、「アニメ・ハルヒ」というアルバムの「長門」という曲をNがカバーしたとでも思っていただければいい。あくまでカバーであり、純粋な長門短編を期待した人には合うかどうか……? 長門への敬意の表し方として、皆野マチにはかなり強力な能力を付与しておいた。
 作品の製作順はK町シリーズの二番目。諸事情でアップ順は一番最初になった。



【夏休みなら、来年も】(短編)(2008.7)

  夏休み短編企画第一弾。
 じつに単純な動機で、夏になったので夏を意識したお話を投下したいと感じ、このお話をつくった。お話の中の時間は夏休み前日だが、Nの時間は構想時点でその時をだいぶ過ぎていた。(笑) できるかぎりの突貫作業でつくったのだが、そのぶんお話の鮮度に関してはいいハズ、と思いたい。
 ストーリー的には特記することはないので、各キャラについて。まず夏の眩しさや明るさを感じさせるキャラを出したかったので、ユリエを考えた。みなみはユリエと対になってお話のバランスを保つキャラ。桂子は「二人だと物足りないから、一人追加で」という安易さから登場。三人組のマネジ役。彼女がいないと三人組はまとまらない……はず。
 ユウタは夏≠チぽく、もっと外向的でうるさい性格にしようと思っていた。けど、それだとユリエとかぶる危険があったので、ああいうナヨナヨな感じに。お話の時間も昼じゃなくて夜だし、まあいいのか。
 最初の構想では、もっと不幸な結末になる予定もあった。ユリエが取り返しのつかない精神的ダメージを受けたり、大怪我をしたり、桂子のおじいちゃんが死んじゃったり、みなみと完全決裂したり……。(笑) 蓋を開けてみれば、不幸な結末にはならなかった。ラストの公園イベントでは、ユリエとみなみが自然な感じで動いてくれたのだが、その結果バッドエンドが回避されたようだ。ユリエは「強いように見えて実は脆い子」ではなかったし、みなみはおとなしさの中にとんでもない「毒」を持っている子であった。
 二人のキャラが立ってくれたおかげで、ああいう結末に落ち着いたと思う。



【オリジナル夏期講座〜四瀬美の可能解答選択講義〜】(短編)(2008.7)

 夏休み短編企画第二弾。
「夏休みなら、来年も」をつくる前に書きあがっていたお話。これを書いたときは、夏休みに気まぐれで短編を連続投下しようという企画は影も形もなかった。このお話の季節は書くうちに流れで夏と決まっただけである。夏休み企画が決まった際には、これを第二弾にもってくることですんなり決定。(お話をサイトに上げた時期の)夏休み後半といえば、宿題・勉強だものね。
 お話のアイディアはだいぶ前につくっていたのだが、つくり込んでいるほどでもなかったので、本文を書きながら細部をつくり込まなければいけなくなり、青息吐息であった。中味はドラえもんなどでよくありそうな因果応報もの。四瀬美のゆるいキャラが書きたいためだけにつくったお話。もちろん四瀬美の名前は某予備校に由来している。
「夏休みなら――」と同じく、主人公病院送りエンド。手を抜いたわけではないのだが……。(笑) 浪人生を絶望させるのもかわいそうだったので、終わりはリセット感を出して、以後の受験勉強に期待できる空気を。しかし四瀬美が勉強ができるという設定は本文中に無いので、彼女がついたとしても要一の成績が伸びるかどうかは知らない。とりあえず、バカップルにはなれそうな二人である。



【プラタナス色コーヒー】(中編)(2008.10)

 フィンランド産メタルバンドのChildren Of Bodomは、毎回CDのジャケットに死神の絵を用いることで知られる。彼らのファンかつ、お話の書き手であれば、一度はやってみたくなるジャンルが死神モノ。
 死神モノは、巷で色々と量産されているようだし、「死神なのに死ぬ」という設定すらベタなのではないかと思うほど。まあ、ファンタジーのジャンルでは様々なアイディアが飽和状態っぽいニオイがするし、アイディア面での独自性を気にしていると何も書けなくなってしまう(→ありがちなアイディアをどう料理できるかが大切だと思う)ので、とりあえずNなりに料理して出してみた。
 プロット段階では短編でいけると思っていた。話の流れとしてもヒネリが入っているわけでもなく、骨組みだったら短編の分量で充分書ける。が、書いていくうちに中編まで膨らむのが明らかに。死神をなめていたのが原因というか、お話で扱う問題というのはいくらでも量が書けるし、逆に一言で終わらせてしまうこともできる。
 今作では、ある程度の量を使ってみた。「まちのおはなし」の皆野マチの説明を超える、二千文字以上の長い語りが含まれている。(笑) なんとも痛し痒し。ライト感を重視すれば大幅カット間違いないだろうし、内容を考えれば必要な語り。とにかく、大事なのは、長い語りが悪い意味でNの名物にならないようにすることだ。
 死神モノはもう一本書く予定。



【能力主義。】(短編)(2009.3)

 ネタメモを見ると、このお話のネタを作ったのは昨年の5月となっている。そのうち作品化しようと思っているうち、さまざまな都合により一年近くの時が流れた。執筆する時間がもっとほしい。まあ、脳内の執筆ソフトをバージョンアップさせれば、執筆時間を増やさなくてもいいのだろうが。
 マチ再登場。里美に至っては、三度目の登場である。二人の友人・板谷円のお話。円が主役のお話については、「まちのおはなし」のネタを作った時点から構想があった。「まちのおはなし」にも円はちょっと出て来ている。ケチでクールというくらいのキャラづけしかしていなかったので、お話も短くあっさりしたものになった。桂子というキャラが登場するが、「夏休みなら〜」の登場人物とは関係ない。あっちは小学生である。(笑)
 作品中の季節は、「まちのおはなし」よりも若干前の設定。「まちのおはなし」では夏服だが、こちらではまだ衣替えされていない。



【政府系ライトノベル!】(長編)(2008.8-9、2009.4)

 長編。
 もともと短編用につくったアイディアだったが、気付いたら長編になっていた。
 内容は、政府のエージェントっぽい奴らが介入してきて主人公の生活が乱されるという、ラノベ的には普通の(笑)お話。当代からすると化石のようなお話とさえ言えるだろう。
 たぶん、お話を書くときは、お話の隅々まで気を配り、出だしから終わりまで無酸素運動状態で一気に走り切ると、ダイヤモンドの指輪のようなキレイなお話ができる。そして、そういう作品のキラキラとした輝きが賞賛を受けるのだと思う。
 が、不幸なことに、このお話はそういう尖鋭的な美しさのある作品ではない。
 が、幸福なことに、尖鋭的な美しさを捨てたおかげで、無骨さがそのまま魅力となる鉱物原石みたいな味わいを閉じ込めることができた。
 と、思う。(笑)
 なんて書いているけど、じつは意図して無骨な書き方をしたわけではない。
 このお話の前編〜中編に関しては、一年前に執筆が終わっていたのだが、その時点では、「無酸素運動的に作品を書く」という技量がNに備わっていなかった。結果、偶然に無骨感が出たというのが正しい。
 無骨な魅力は、冗長さと隣り合わせの危険な位置にある。だから、無骨なお話は、尖鋭的なお話に比べるとつまらなくなりやすい。しかし、尖鋭的なお話では端折りがちになる、「細部」や「空気感」を表すことができる。銭湯の場面とか、けっこう気に入ってる。
 08年の8〜9月に【9】まで書き、しばらく中断していたが、09年の4月に残りを書いて完結させた。お話の流れは、ほぼ当初のアイディア通りである。ただ、中断を挟んで桐生一男のキャラに少し変更が加わった。
 お話のアイディアを考えている時に偶然かけていた曲が、哀愁があって非常に抜けが良く、「暑いんだけど、でも涼しい夏」といったイメージが頭に浮かんだ。そこで、お話のラストは夏の場面にしようと決めた。音楽にそそのかされてアイディアが加速することは、珍しくない。
 お話を書いた後で知ったけど、主人公と同じ名前の芸能人が居るらしい。ありふれた名前だもんなー。もちろん、関連は無し。



【まちのできごと】(長編)(2009.6 - 2009.9)

 ラノベっぽいモノを本格的に書きだしたのは2008年であった。振り返ってみると、以降09年にかけては、ラノベの作法を学習した期間と位置付けられるようだ。この期間を「第一期」とでも言えるだろうか。いろいろ書いてみる中で、ラノベの可能性をひしひしと実感した。
 今回のお話は、「第一期」で学んだことをまとめる意識で取り組んだ。音楽のコンセプトアルバムでいうと、アルバムの最後を飾る長尺曲というところか。
 長尺すぎて原稿をPCに打ち込む気にならず、一年近くも放置していた。
 戦闘場面の冗長さは否定できない。編集者が居れば大幅カットしてほしいところだ。
「第一期」的なお話はこれが最後になるだろう。それは喜ばしいことだと思う。「第一期」で身に付けた技術をAとすると、「第二期」以降で使える技術は確実にAより大きい。全力でなければ決められなかった技を普通に決められるようにする。お話を書く行程はその連続である。
 今まではラノベの作法をさらい、「守り」で書いてきた。だが、それは終わった。これからは「攻め」のスタンスで行こうと思う。けれども、感覚は内面的なモノだから、次のお話を読んでも「別に前と変わらなくない?」と思うかもしれない(笑)。



【セカイ・テキ・世界】(長編)(2008.12 - 2009.2)

  良い作品は、短時間で完成させられる。短時間で集中して書くのが最も良い。対して、良くない作品は時間がかかる。しかも、時間がかかった上に、良くないものができる。(笑) 残念ながら、それが、お話書きの無情な法則である。
 ひさしぶりに長編を書いたら、終わるまで長く掛かった。まるで長編のリハビリだ。
 残念ながら、納得できかねる作品であるため、ページの再下段にて展示。分量が多いので、この作品を読むことは暇潰しにはもってこいだ。
 お話としての最低限の形だけは、何とか整えたと思う。――しかし、このお話には大きい問題が二つある。
 救われない人物が居ることと、冗長なことである。
 読めばわかるが、このお話には、完全に不幸なだけのキャラが存在する。世界≠ノ振り回された彼女である。Nの現在の姿勢としては、不幸一色なキャラが存在してしまうお話は、好ましいとは思えない。不幸なキャラができてしまったことには腹が立ってくる。が、晒すことで未熟さを捨て去るため、晒すことにしました。
 つぎに冗長な点ですが、冗長さはつまらなさとイコールでして、お話のレベルを引き下げてくれています。どうして冗長になってしまったのか、自分で分かっていますので、次作では改善したいと思います。
 すみませんでした。
 それにしても、短編と長編はつくづく違うと認識。
 短編にかかる作業量を1とすると、長編のそれは10〜100にもなる。原稿量的には数倍でしかなくても、作業量は飛躍的に増える。作業量を化け物のように増やしてしまう変数は、「キャラとイベントの数」であるような気がしている。
 理屈では、短編を一本書くように長編を一本書いてしまえば、作業量はさほど増えないはずだ。そしてそれは不可能ではないのだが、今はまだできない。脳内執筆ソフトをバージョンアップさせたい。
 お話の底に流れているセカイ系の設定は、いちおう一通り考案済みである。が、「セカイ系のお話らしく、セカイ系設定に大マジメに支配される」というお話は、N的に面白くなかった。そこで、思い切って設定の詳細な説明を放棄した。全編読んだとしても、完全な設定は浮かんで来ないだろう。
 設定が見えそうで見えないため、じつはセカイ系のお話とすら言えない。あえていえば、ただの青春小説(笑)。「電機屋に入ってみたら、魚介類しか売ってなかった」みたいなネジレ感。
 ところで、藤子F氏の隠れた秀作である、『T・Pぼん』へのオマージュ(笑)が織り込まれている。分かっている人は、ニヤリとしてください。
 お話を楽しめた、という読み手の方へ。あなたは素晴らしいです。奇跡的です。感謝してもし切れません。
 ありがとうございました。
 最後に、主人公以外のキャラを紹介。
 
青田ユミ子:三名の中で一番空気になりそうな感があった人。しかし最後で書き手もびっくりの大まくりを見せる。構想では、ユミ子は最後まで一般人でいさせるはずだったが、空気化を避けるにはこれぐらいしかなかった。さばさばしているようで、意外と嫉妬深い?

アンナ・ヘーゲル:おそらく、一人でこの作品を支えてくれている人。横文字っぽい名前。ハーフなんだろうか。有名哲学者とは何も関係なく、単に語感が良かった。ちなみにNは、ヘーゲルについては倫理社会の太文字である以外に知らない(笑)。 真摯で懸命な性格のサユリに対し、脱力と諦念が目立つアンナ。たまにはこういうキャラも。無口キャラとして登場したはずが、相当喋っている。学校では、無口なんでしょうね。

神内サユリ:啓太を振り回すヒロイン。いまさらになって、もっとおどおどした性格でも良かったかもしれないと思っている。その方が、世界≠フパワーや無慈悲さを表せたのではないか……。謎のメールの本人でもあり、お話の面白さを一番左右できた人物だけに、キャラを練り切れなかったのは心残り。ヒロイン三人の中では、最も魅力を出し損ねている。(笑)

納屋:アンナの上司。なにかとウザい。自己申告によれば頭はよいらしい。一生懸命やってても有害な人って、居るよね。このお話の続編があれば、もっとお話に絡んできそうである。





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